新勝流枝切術 発祥之地
しんしょうりゅうえだきりじゅつはっしょうのち
群馬県藤岡市街地から県道175号 上日野藤岡線を西に進むと小振りな電話交換設備を通り過ぎて橋を渡り、2車線が1.5車線になる。六地蔵橋の表示があるところを小梨峠方面、北にずんずん上っていくと、道路左側に青っぽい天然石の石碑が建つ。三波石だろうか。
林業家 新井勝之助と刃物鍛冶 天野勝夫によって枝打ちの鎌や鉈が開発され、特許も取得した。二人の氏名から成田山新勝寺に肖って命名したとされる。
- 月刊杉WEB版
http://www.m-sugi.com/11/m-sugi_11_chiyo.htm - 天野刃物工房(アーカイブ)
写真
碑文
新勝流枝切術発祥之地
群馬県知事 清水一郎書
新井勝之助翁は枝打技術の改良を志し研究を重ねて新勝流枝打器具を考案し使用法を広く全国に普及したその功績が認められ第一囬全国育林祭に於て林野庁長官賞受賞の栄に輝いた受賞を記念して本碑を建てる
昭和五十一年十一月七日