高山社 発祥の地

たかやましゃはっしょうのち

 
撮影:
2010年4月(写真 H.O.さん)
2019年12月

八高線 群馬藤岡駅から南西方向。県道13号 前橋長門路線の“宿神田”交差点から西に曲がり,県道176号 下日野神田線を3~4km進むと,一軒の大きな農家があり,道路をはさんだ向い側の小さな空き地に「高山社発祥の地」と書かれた碑(説明板)と「高山社跡」という石標が建っている。

群馬県では「富岡製糸場と絹産業遺産群」を世界遺産として登録すべく準備を進めている。世界遺産の対象の一つに「高山社発祥の地」が挙げられている。高山社というのは,藤岡市出身の高山長五郎により改良された養蚕の飼育法「清温育」を全国に広めるために作った教育組織。明治17年(1884)に開設し,明治30年代には全国から生徒が集まり,全国共通の養蚕技術として養蚕業の発展に貢献した。

明治時代,生糸は日本の重要な輸出品で,全国的に養蚕が盛んに行われた。しかし蚕は自然の温度での飼育環境(清涼育)では病気で死んでしまうことが多く,安定した生産ができなかった。また 人工的に温度や湿度を管理して蚕を効率的に飼育しようとする“温暖育”が試みらたこともあったが,勘と経験による方法であったため不安定さは払拭できなかった。

このような中,清涼育と温暖育の折衷方式として “清温育”が高山長五郎によって完成され,全国に普及して行った。

高山長五郎は明治17年(1884)に社員数136人で「高山社」を設立し,養蚕組合活動以外に養蚕伝習所の活動を開始。門下生や養蚕伝習所の卒業生を養蚕教師として各地の分教場(卒業生の農家など)へ派遣。明治34年(1901)にはこれを学校組織として“私立甲種高山社養蚕学校”を設立した。1997(明治40)年の最盛期には,62ヶ所の分教場に4万人の社員,1200人以上の生徒を抱えていた。

大正時代に入ると 新しい飼育法が開発されたため,高山社の清温育は衰退し,高山社は昭和2年(1927)に廃校となった。


平成26年(2014)に、富岡市の製糸場跡のストーリーを補完する付属物として世界遺産登録された。看板には「個人所有なので見物は自粛せよ」とあったが、登録後には日中には説明員がいて見物できるようになった。また、「高山社跡」碑に並んであった看板は無くなり、世界遺産印の付いた金属モニュメントに置き換えられた。「発祥の地」についてはトーンダウンしながらも、表示はある。

今はもう無い建物の跡も現場では紹介され、また、ブロック塀などを撤去して雰囲気を明治風にしようとしている。

写真

  • 高山社発祥の地 (2019)
  • 高山社発祥の地 (2019)
  • 富岡製糸場と絹産業遺産群 (2019)
  • 高山社発祥の地 (2019)
  • 高山社交流センター案内図 (2019)
  • 高山社発祥の地 (2019)
  • 高山社ミュージアムショップ(?)(2019)
  • 高山社跡 (2019)
  • 高山社発祥の地 (2010)
  • 高山社発祥の地 (2010)
  • 高山社発祥の地 背面 (2010)
  • 高山社跡 (2010)

碑文

『高山社発祥の地 Birthplace of Takayama-sha』

世界遺産暫定リスト記載富岡製糸場と絹産業遺産群

ここは,幕末から明治時代の養蚕指導家 高山長五郎が生まれ育ち,養蚕研究に取り組んだ地です。長五郎はこの地で「清温育」を考案しました。清温育とは,暑い日には換気をし,寒い日には火気で蚕室を暖める蚕の飼育法です。長五郎は蚕室の構造から間取り,蚕かごの配置,クワを刻む包丁の形や刻み方までも指導し,飼育技術の向上に努め,明治時代の末には全国に「高山社流清温育」が普及していったのです。高山社は,明治34年に私立甲種高山社蚕業学校を市内に設立し,60以上の分教場,1,200人の生徒,4万人の社員を有する全国一の養蚕指導組織となりました。

敷地は個人の所有地です。敷地内への立ち入りはご遠慮ねがいます。
下のボックスにリーフレットがございますのでお持ち帰りください。

藤岡市教育委員会文化財保護課

国指定史跡 高山社跡

平成二十二年三月八日設置 藤岡市教育委員会
文部科学省

高山社跡

高山長五郎は換気と温湿度管理をきめ細かく行う養蚕法「清温育」を確立、その普及のため、1884(明治17)年に養蚕教育機関「養蚕改良高山社」を設立しました。高山社は日本全国のみならず中国や朝鮮半島などからも生徒を受け入れ、明治末には「養蚕の一総本山」とも呼ばれました。高山社跡は高山社発祥の地であり、その中心的な実習場でした。富岡製糸場が推し進めた繭の品質改良にも協力し、近代日本の養蚕業に大きな足跡を残しました。

Takayama-sha Sericulture School

Chogoro Takayama established the sericulture technique, "seion-iku",which focuses on ventilation and temperature and humidity control. To spread that techique, in 1884 he founded the Takayama Sericulture School, an institution to provide education on sericulture. The school accepted students not only from all over Japan, but also from countries such as China and the Korean Peninsula. By the beginning of the 20th Century, it was also referred to as the "center for Sericulture". Takayama-sha Sericulture School is the original site of the Takayama school and was the main workshop. It also helped in Tomioka Silk Mill's efforts to improve the quality of cocoons and had a large influence on sericulture industry in modern Japan.

世界遺産富岡製糸場と絹山号遺産群

「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、近代日本が成し遂げた、高品質生糸の大量生産に関わる「技術革新」と、日本と世界各国の間での「技術交流」を示す遺産群です。19世紀半ば、近代化を進めた日本政府は、輸出の中心であった生糸の品質改良おためフランスの製糸器械や工場システムを導入、大規模な近代工場「富岡製糸場」を建設しました。同時期、国内では蚕種(蚕の卵)生産や養蚕の技術改良が熱心に勧められ、生糸の原料である繭の増産に成功しました。近代化された製糸技術と改良された養蚕技術が相互に連携し、高品質生糸の大量生産が実現したのです。そして20世紀初頭、日本は世界一の生糸輸出国となり、その後は開発した技術を世界中に広めました。

Tomioka Silk Mill and Related Sites

Tomioka Silk Mill and Related Sites illustrate the technological innovation relaese to mass production of high-quality raw silk achieved by modern Japan,and technology exchange between Japan and countries around the world. In the mid-19th century, the Japanese government, which was promotiong modernization, adopted a factory system and silk-reeling machines from France to improve the quality of raw silk that was the main item of export, and established Tomioka Silk Mill, a large, modern factory. During the same period, technological improvements to sericulture and silkworm egg production in Japan were vigorously propelled forward, resulting in the increased production of cocoons, the basic material for raw silk. Modenized silk-reeling technologies and improved sericulture technologies went hand in hand to realize mass production of high-quality raw silk. At the start of the 20th century, Japan became the world's top exporter of raw silk, and the country's developed technologies later spread throughout the globe.

地図

地図

高山社 付近 [ストリートビュー]