私立育英黌 発祥の地
しりついくえいこうはっしょうのち
山陰本線 由良駅から北東へ450m、北栄町役場大英庁舎(東伯郡北栄町由良宿423-1)敷地入口に表示がある。
- 第23回SUN-IN未来ウオーク2日目
https://yamap.com/activities/32236877/article(予備)
写真
碑文
私立 育英 黌 発祥 の地 現在、北栄町役場大英庁舎となっているこの場所は、山陰初の私立中学「育英黌」(後の育英中学)が置かれていた場所です
育英黌は、明治三十九年、由良宿出身で廻漕業を営んでいた豊田太蔵氏が設立。豊田氏は、「向学心に燃えた若者たちのために自分は何をしてやれば、仁・智・義の一隅でも照らしてやるお手伝いが出来るか」との思いから、「自律」と「克己」を実践させる場として、ひいては「数多くの人材を社会に送り国家の隆盛に貢献する」ことになるという信念から、全私財を投じて育英黌を設立しました。当時、県内外から向学心に燃える若者が集まり、文武両道の建学精神を尊び、「克己」「自律」の校訓と自由な校風に私学の伝統を築きあげていきました。
その後、育英黌は「私立育英中学校」となり、第二次大戦後の学制改革により鳥取県に移管されると、名称は「鳥取県立由良育英高等学校」に改称され、昭和五十二年、山陰本線を跨いで南側にあるグラウンドの周辺に移転しました。
これに伴い、旧大栄町役場がこの地に移築し、風景は一変しましたが、桜並木は育英中学当時のものがそのまま残され、現在にその名残をとどめ、春には桜の名所として親しまれています。平成十九年三月
北栄町