山村学園 発祥之地

やまむらがくえんはっしょうのち

西武新宿線 本川越駅・東武東上線 川越市駅から北東に1.5km、川越線 川越駅から北東に2km、喜多院と成田山川越別院の間の参道にある蕎麦店 寿庵(川越市小仙波町1丁目2-11)近くの民家前に、小振りな石碑が建つ。

山村学園高等学校(埼玉県川越市田町16-2)は当地から南西に1.5kmに移転している。

大正11年(1922) 山村ふみよが裁縫手芸伝習所山村塾を開設、昭和3年(1928) 校名を山村裁縫女学校に改称した女子校だった。平成20年(2008) 山村学園高等学校に改称、男女共学化した。

写真

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碑文

山村学園発祥之地

山村学園創立六十周年記念

昭和五十八年九月𠮷日 山村学園同窓会

山村学園創立の歴史

山村学園の創立者山村𛂱みよは、現在の山梨県甲府市でわずかばかりの土地を借りて農業を営む、山村忠吉とはるののひとり娘として明治三十五年(一九〇二年)九月一日に生まれた。貧しい農民の生活をしていた両親は、故郷を離れて当寺の川越c町にあった石川組製糸所第三工場に住み込みで働いた。
川越尋常小学校高等科を卒業した𛂱みよは両親と共に製糸工場で働いたが、このままでは自分たちの生活は変わらないと考えた。自分がもっと高い学問を身につけることで今の一家の生活を変えたいと思い、特に女性として必要な裁縫の技術を身につけて多くの人たちの自立を促したいとの考えを両親に話し、進学への熱い思いを説いた。その熱心さと決意に根負けした父忠吉は進学を了承し、そのために好きな酒とたばこを断ち、残業を増やして学費を捻出した。
大正九年(一九二〇年)四月、𛂱みよは東京裁縫女学校(現在の東京家政大学)に入学し寮生活をしながら学業に励んだ。大正十一年(一九二二年)三月、師範科の課程を卒業した後、更に大妻高等女学校(現在の大妻女子大学)で五箇月間、日本刺繍を学んだ。
父忠吉は、更に生活費を切り詰めて蓄えた資金で小仙波の喜多院の門前に売り出されていた料亭(土地は喜多院が所有)を買い取り、内部を改装して𛂱みよを援助した。
𛂱みよが両親への感謝を込めて「裁縫手芸伝習所山村塾」の名を掲げたのは大正十一年(一九二二年)九月一日二十歳の誕生日であり、現在の山村学園が第一歩を踏み出した記念すべき日となった。
この記念碑をもって山村学園発祥の地であることを示す。

山村学園創立百周年記念

令和四年九月一日
山村学園同窓会

𛂱」は変体仮名で、「ふ」に相当する

地図

地図

川越市小仙波町1丁目 付近 [ストリートビュー]