そば切り 発祥の地
そばきりはっしょうのち
中山道六十九次の三十二番宿場、
……と、いろいろと表示をしてアピールしているが、宿場内でそばをいただけるのはここだけのようだ。
そばを碾いて練って水団のように食べていたそばがきから進化して、伸して細長く刻んだ麺としてのいわゆるそば(そば切り)になって現在でも代表的な日本食として好まれている。
交通の変化により本山宿を宿場として立ち寄る者はほぼ無いような状況で、宿場内に中央線の駅は無い。
国道19号から旧中山道 本山宿への分岐地点に「そば切り発祥の地」と案内看板が設置されている。南側には見当たらず、なぜか国道19号は北上ばかり使っていたため個人的に発見できていなかった。
写真
碑文
そば切り発祥の地
本山そばの里
本山宿 そば切り発祥の地
中山道本山宿のそば切りは古くから様々な文献に紹介された。
「そば切りといっぱ もと信濃ノ国本山宿より出て あまねく国々にもてはやされける」 風俗文撰 森川許六 宝永三年(1706) 「本山のそば 名物と誰も知る 荷物をここに おろし大根」壬戌紀行 太田南畝 享和二年(1802)本山宿本陣の大名宿泊帳には寛文四年(1670)に 丹羽式部少輔(美濃岩村藩主丹羽氏純)に「そば切御上げ申し候」と記録されている。
これらの文献よりそば切り発祥の由緒となっている。
中山道本山宿
「そば切りといっぱ
もと信濃国本山宿よりいでて
あまねく国々にもてはやされける云々」
(風俗文選松尾芭蕉門下森川許六による)塩尻市本山区
本山切りそば推進会