水道 発祥の地
すいどうはっしょうのち
鹿児島市役所の方から城山トンネルを北側に抜けた近く。冷水公民館の北側の目立たない小公園(冷水ちびっこ広場?)に、複雑な形の不思議な石碑が建っている。
碑の背面に碑文が書かれていた痕跡があるが既に風化して読めなくなっている。その代わりに建てたと思われる説明板もかなりボロボロ状態で判読に苦労する。
隣地は現在も冷水配水池となっている。ここは城山の谷間状になったところで、“冷水越”と呼ばれる峠道に面していて、城山トンネルができる以前は鹿児島中心部からここを通って伊敷方面に抜けていたという。
写真
碑文
水道発祥の地
1723(享保8)年、島津家第22代 継豊が、このあたりのわき水を石管で鶴丸城に送水し、余った水は城下の住民に飲み水として配水しました。
これが鹿児島での上水道の始まりといわれています。この石碑は、鹿児島市近代水道50周年を記念して、1969(昭和44)年に建てられました。現在、この近くには、冷水第一水源地があり、飲料水を供給しています。
THE FIRST WATER SYSTEM IN KAGOSHIMA
(風化して読みづらいので省略)