駿府銀座 発祥の地
すんぷぎんざはっしょうのち
東海道線 静岡駅の北西800m。静岡市役所の2筋南の“両替町通り”の北側歩道上に駿府銀座発祥の地と書かれた 高さ1m程の石碑が建っている。
「銀座」という言葉は、現代では各地の商店街の名前として広く使用されているが、元々は江戸時代の“銀貨鋳造所”のことで、両替商兼銀細工師である銀屋が銀貨を鋳造した場所である。慶長6年(1601) に 京都・伏見に設けられたのに始まり、駿府・京都・江戸・大坂・長崎などにあったが、やがて江戸に統合された。
駿府の銀座は 慶長11年(1606) に 徳川家康が駿府城に入った際に、駿府城の蓄財としての銀貨を鋳造する目的で設置された。町名の“両替町”は 銀座の業務として銀地金を買い入れ銀貨と引き換えること両替業務から来ており、この銀座周辺には多くの両替商が集まっていた。
駿府の銀貨鋳造所は 慶長17年(1612) に 江戸(現在の東京都中央区銀座)に移転したが、既に存在していた“金座”が両替町と呼ばれていたため、銀座の移転先は“新両替町”と呼ばれ、金座は“本両替町”と改められた。
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写真
碑文
駿府銀座発祥の地
慶長十七年(1612)駿府の銀座は江戸に移された
今日の東京銀座のルーツは静岡にある大御所四百年祭を記念し建立する 寄贈 静岡ライオンズクラブ