大会発祥の地 (全国高校ラグビー大会)
たいかいはっしょうのち
阪急電鉄 宝塚線 豊中駅前のペデストリアンデッキ上に 数個のラグビーボールをかたどった記念碑が建っている。大正7年(1918), 「日本フートボール大会」が「ラグビー式」と「アッソーシエーション式(サッカー)」 の2部門に分けて 豊中グラウンドで開催された。これが 高校ラグビー大会の始まりである。
「豊中グラウンド」は 豊中駅の西600mの場所にあり, ここは『高校ラグビーの発祥の地』でもあり, また『高校野球の発祥の地』でもある。翌8年に名称を「日本フットボール大会」に, 大正15年(1926)の第9回大会から「全国中等学校大会」と改称し, 全国5地区にわけられた地区ごとに予選を行う方式になった。更に昭和24年(1949) の第28回大会より, 「全国高校ラグビー大会」となった。
大会の会場は 第6回から豊中グラウンドを離れ, 「宝塚運動場」「甲子園球場」「南甲子園運動場」 「西宮球技場」などと変わり, 昭和38年(1963)の 第42回大会から 現在の「花園ラグビー場」になった。
写真
碑文
全国高校ラグビー大会80回記念
我々ラガーマンは
見せるためにラグビーをやっているものでもなければ,
自己の名声や, 地位をあげるためにやっているものでもない。
ただ, ほとばしるエネルギーと感動を,
このゲームの中に, コントロールすることに
歓喜と誇りを感じてプレーしているのである。イングランドラグビー協会
会長 トーマス・アーサー・ゲンプ
全国高校ラグビーは大正7年(1918) 1月12日, 「第1回アッソシエーショ ン式・ラグビー式日本フートボール優勝 大会」として, 豊中運動場で始まった。 第1回大会は4校が出場し, 優勝戦は全 同志社が京都一商を31-0で破った。
豊中運動場は大正2年(1913), ここより西へ600Mの地に箕面有馬電気軌道 (現在の阪急電鉄)によって建設された。 第5回大会まで開催され, その後, 宅地となった。会場は宝塚運動場, 甲子園 球場, 西宮球技場などを経て, 第42回大会(昭和38年)から現在の近鉄花園ラグビー場に移ったが, 豊中で始まった大会は, 延べ2100余のチーム, 5万人以上の選手が楕円球を追い, 世紀をまたいだ2000~2001年のシーズンに第80回の節目を迎えた。ここにラグビーの一層の隆盛を願い, 大会発祥の地の豊中に記念碑を建設する。平成14年(2002)12月26日
全国高等学校体育連盟
日本ラグビーフットボール協会
大阪府, 大阪府教育委員会
毎日新聞社
豊中市制作 ワタナベモニュメント
彫刻家 田村務