高校野球 発祥の地

こうこうやきゅうはっしょうのちきねんこうえん

阪急電鉄宝塚線 豊中駅から 西に600m。日本生命豊中寮の敷地の南西端に「高校野球発祥之地」および「豊中グランド跡地」の碑とレリーフがある。両方合わせて「高校野球発祥の地 メモリアルパーク」と呼ばれている。

この碑は 昭和63年(1988) に, 高校野球開催70周年を記念して建てられた。高校野球は 大正4年(1915) に 大阪朝日新聞社の主催で, この地にあった「豊中グラウンド」で開催された。その歴史は碑文に詳しく書かれている。

メモリアルパークは, 左端に「高校野球発祥の地」の碑, 右端に「豊中グランド跡地」の碑があり,その間の赤レンガの塀に「第一回全国優勝野球大会」と「第ニ回大会出場校」「豊中グラウンドの沿革」などの資料 および 大阪朝日新聞社長による始球式の模様を表わすレリーフ「球史ここに始まる」 などが掲げられている。


平成27年(2015) に高校野球100周年、平成30年(2018) には第100回大会を迎えるにあたり、4600万円を費やして再整備、隣地の空地にまで拡張され、折れ曲がった壁は直線的になった。名称も「高校野球発祥の地記念公園」と改められた。平成29年(2017) 4月6日には記念式典も行われた。

当地は、大正4年(1915) に10校が参加した 第1回中等学校優勝野球大会 が開催された豊中グラウンド跡地。あまりにも野球が人気で観客を収容しきれず、第3回からは西宮の鳴尾球場での開催となった。

参考:

写真

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  • 高校野球発祥の地 レリーフ
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碑文

高校野球発祥の地

豊中グラウンド跡地
球史ここに始まる

豊中グラウンドの沿

 右側の社告は, 大正4年(1915), 第1回全国中等学校優勝野球大会を豊中グラウンドで開催するにあたって大阪朝日新聞に掲載された社告である。中央部のブロンズレリーフは当時の朝日新聞社村山龍平社長の始球式姿で, まさに歴史的な第1球といえる。村山龍平翁は「青少年を育てるスポーツとしての野球を」という立場から大会開催を決断した。これが今日の高校野球の精神として受け継がれている。大会は8月18日から25日まで全国からの代表10校が参加して開かれ, 優勝は京都ニ中が手にした。

 第2回大会は12校が参加して大正5年8月16日から20日まで開かれ慶応義塾普通部が優勝した。翌年の第3回大会から舞台は西宮の鳴尾球場に移ったが, 豊中グラウンドは野球史上に大きな足跡を残した。
 この豊中グラウンドには大正2年(1913)5月1日, 綿畑などであった140M四方, 面積19600平方Mの土地に箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄)によって建設された。周囲は高さ1M余の赤レンガ塀で, 木製の観覧席のほかに応援団席もあり最高の施設だった。その後住宅地として分譲され, このメモリアル パークは当時のグラウンドの正門前である。
 豊中で始まった全国中等学校優勝野球大会昭和13年(1948)の第30回大会から全国高等学校野球選手権大会と改称され, 歴史を重ねて今年70回大会を迎えた。これを記念してメモリアルパークを建設し「高校野球発祥の地」として永く保存するものである。

昭和65年(1988)8月1日
日本高等学校野球連盟
朝日新聞社・豊中市

大阪朝日新聞社
社告


本社主催 全国優勝野球大会
   来る八月中旬豊中に於て挙行
   各地代表中等学校選手権仕合

野球技の一度我国に来りてより今だ幾何ならざるに今日の如き隆盛を観るに至れるは 同技の男性的にしてしかも其の興味と其の技術とが著しく我国民性と一致せるに依るものなるべし, ことに中学程度の学生間に最も普く行はれつゝありて, 東海五県大会関西大会等を始めとし 各地に其の連合大会の挙を見ざるなきに至れり, 然も未だ全国の代表的健児が一場に会して溌剌たる 妙技を競ふ全国大会の催しあるを見ず, 本社は之を遺憾とし茲に左の条件により夏期休暇中の八月中旬を卜し全国各地方の中等学校中より其代表野球団, 即ち各地方を代表せりと認むべき野球大会に於ける最優勝校を大阪に聘し豊中グラウンドに於て全国中等学校野球大会を行ひ以て其選手権を争はしめんとす(詳細は逐次発表)

  • 参加校の資格はその地方を代表せる各府県連合大会に於ける優勝校たる事
  • 優勝校は本年大会に於て優勝権を得たるものたる事
  • 選手の往復汽車又は汽船賃は主催者に於て負担する事

地図

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豊中市玉井町 付近 [ストリートビュー]