読売巨人軍 発祥の地

よみうりきょじんぐんはっしょうのち

京成本線 谷津駅から 南へ約500m。谷津干潟に面して 谷津公園がある。ビア公園内にある“谷津バラ園”の入口右手に, 一見 石造りのベンチのように見える記念碑がある。碑の横幅約4mぐらい。

ベンチの座る部分に相当するところに, 巨人軍関係者の手形が多数並べられており,川上哲治・長嶋茂雄・王貞治氏ら 多数の元選手の名前が見られる。

昭和9年(1934)に アメリカのメジャーリーグ一行を日本に招聘し, その相手をするために臨時に全日本チームが編成された。後にこれが母体となって読売巨人軍が誕生した。その全日本チームの練習のために提供されたのが 谷津遊園内のグラウンドであったために,ここが巨人軍発祥の地とされる。

この地は, 明治中期に塩田開発が行われた場所で, 大正14年(1925) その跡地に京成電鉄により「谷津遊園」が建設された。谷津遊園は 1982(昭和57)年に閉園となり, その跡地は「谷津公園」となり,谷津遊園時代からあったバラ園だけは 現在も有料施設として残っている。

写真

  • 谷津バラ園 入口
  • 谷津バラ園
  • 読売巨人軍発祥の地.
  • 読売巨人軍発祥の地
  • 読売巨人軍発祥の地.
  • 読売巨人軍発祥の地 碑文

碑文

読売巨人軍発祥の地

正力松太郎

 昭和九年四月 正力松太郎氏は 日本野球界の発展,健全娯楽の育成のため 全アメリカ選抜チームを招聘することにした。昭和六年の第一回招聘につぐ 二回目の快挙であった。ベーブ・ルース, ルー・ゲーリック等 一流選手が名を連ねる米チーム招聘の報が一度び伝わるや 日本中は歓呼の声をあげて歓迎した。これに対する全日本チームは 六大学の名選手を中心に編成された。母校の名誉をかけて参加した日本軍選手は, この谷津の地に集結,ここを錬磨のにわとして, 心魂を傾けて策を練り, 技をみがいた。かくして, 日米両チームは東京をはじめ 全国各地を転戦,いたるところで爆発的熱狂の渦にまきこまれた。滞日二カ月, 米チームは日本野球界の発展に 巨大なる貢献をしたばかりかプロ野球結成の機運を醸成して 嵐の如く去った。
 そして昭和九年十二月, この時の全日本チームを母体として 東京巨人軍(後に読売巨人軍と改称)が誕生したのである。またこの誕生を契機として プロ球団が続々と輩出し,今日の隆盛の一歩を築いたのである。
 思えば再度にわたる米チームの招聘は 偉大なる企画であった。もしこの企画がなかったならば 果してプロ野球の隆昌はあったであろうか。思いなかばにすぎるものがあろう。その意味において, その招聘プランはもとより,この地に集結した巨人軍の誕生は永く球史に記録されるべきである。
 今回小社は この地を読売巨人軍発祥の地として指定し,その経緯を後生に伝えるためにこの碑を建てた。
 プロ野球の発展を祈念すると共に 正力松太郎氏の卓見と努力に最大の敬意を表する次第である。

この碑は昭和41年に設置されたものを復元したものである。

昭和63年1月24日 習志野市

地図

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習志野市谷津3丁目 付近 [ストリートビュー]