高部小学校 発祥の地
たかべしょうがっこうはっしょうのち
東海道線 草薙駅から 北に3km。県道67号 北街道の大内観音入口バス停の1ブロック東の交差点から 北西に向かい 約500m先に 曹洞宗
現在の「静岡市立清水高部小学校」が開校された場所である。明治初めの学制発布を受けて、明治7年(1874) に保蟹寺で行なわれていた寺子屋を大内村立の「貞教舎」として開校。明治18年(1885) に近隣の「千之舎」と合併して「村立小学龍南学校」が設立され、新校舎に移転した。
その後「龍南尋常小学校」「高部尋常小学校」と改称。明治36年()1903)、押切の現在地に校舎を新築して移転。さらに「高部村国民学校」を経て、昭和22年(1947)「高部村立高部小学校」となり、 昭和29年(1954) に 高部村が清水市に併合されたため 「清水市立高部小学校」と改称。 平成15年(2003) に清水市と静岡市の合併により「静岡市立清水高部小学校」となり、現在に至っている。
現在の清水高部小学校は 清水区押切(保蟹寺より 東に600m)にある。
写真
碑文
高部小学校発祥の地
明治五年全国に小学校を設けることがきまり,明治七年七月二十九日この地に「貞教舎」という学校がたてられた。 これが高部小学校のはじまりである。押切 大内新田能島 大内 鳥坂の児童が学んだ。翌八年四月には 梅 ヶ谷 二本松に「千之舎」がつくられた。十八年五月この二つを合併して大内 山根に「竜南小学校」を開校 のち 「竜南尋常小学校」さらに二十二年高部村の発足に伴い 「高部尋常高等小学校」と改めた。児童数が多くなった ので三十六年四月いまの場所に移り その後「高部国民学校」「高部小学校」と変り創立以来百十年を数える いたる。
昭和六十年二月一日建之
- 大正九年高部小学校
入学者の会 双柳会代表- 石原 郁
生子力蔵