天然瓦斯井戸発祥之地
てんねんがすいどはっしょうのち
いすみ鉄道 大多喜駅から南に800m。大多喜駅から県道231号を南に向かうと㈲まいしょっぷ山崎屋商店(大多喜町上原46)駐車場入口隅に石碑と説明板が並んで建っている。
明治24年(1891) に偶然この地で天然ガスが発見された。そのいきさつは碑文に書かれているが, これがきっかけで周辺ではガス井戸が掘られ自家用として利用されるようになった。昭和初期に 大多喜地方のガス井戸の数は数十ヵ所あったという。天然ガスが企業化されたのは最初の発見の40年後のことで,昭和8年(1931) に大多喜天然瓦斯㈱が設立され,都市ガスとして供給されることになった。
房総半島を中心とした南関東一帯に広がる“南関東ガス田”は,メタンガスが主成分で,地下水に溶け込んだ状態で存在するため“水溶性天然ガス”と呼ばれる。ガスの埋蔵量は 3700億㎥と日本国内最大のガス田で,現在の生産量で計算すると数百年分の埋蔵量になるといわれる。
天然ガスは無色・無臭で空気よりも軽いため,もし地中から漏れ出たガスが室内に流入した場合は建物の上部に溜まる。これが 空気の5~15%の割合になると爆発する危険がある。平成19年(2007) の渋谷区における温泉施設の大爆発,平成16年(2004) の千葉県九十九里町いわし博物館での爆発など,天然ガスが原因とされる爆発事故が記憶に新しい。
写真
碑文
天然瓦斯井戸発祥之地
関東天然瓦斯開発株式会社
取締役会長 重光武人書明治二十四年五月 山崎屋太田卯八郎氏がこの地に水井戸を掘ったところ 図らずも天然ガスが噴出した これが日本で最初の水溶性天然瓦斯井戸であった 当社創業五十年に当り これを顕彰して後世に伝えるものである
昭和五十六年五月 関東天然瓦斯開発株式会社
天然ガス井戸発祥の地
明治二十四年,醤油醸造業を営む山崎屋太田氏が,屋敷内のこの場所に水井戸を掘ったところ, 泡を含む茶褐色の塩水ばかりで,目当ての真水は一滴も湧出しなかった。 これに気落ちした氏が,口にしていた煙草を何気なく水中へ投げ捨てると, 水泡はたちまち青白い炎を挙げて盛んに燃え出した。
これが日本初の水溶性天然ガスの井戸であった。その様子は, 「天下無比天然水素瓦斯」と題された銅板(山崎屋太田氏所蔵 写真を左手に掲載)に刻まれ, 現在へと伝えられている。
その後,大多喜町の各処には多数のガス井戸が次々掘さくされ, 住民は長期に渡り大地の恵みを享受した。
そして昭和六年には,日本初の天然ガス事業会社として, 当社の前身である大多喜天然瓦斯株式会社が設立された。同社は, 大多喜町周辺を中心に天然ガスの開発を進め,昭和十年には, 日本で初めて天然ガスを原料とする都市ガスの供給も開始した。
県下のライフラインを支える今日の天然ガス事業の起源は, この場所に掘さくされた一本の井戸であると言えよう。関東天然瓦斯開発株式会社