創天秤鞴記
てんびんふいごをはじむるのき
なお、平成28年(2016)、三江線は平成30年(2018) 4月に廃止されることがJR西日本から発表された。
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写真
碑文
天秤鞴は江戸時代享保の頃(一七一六ー一七三六)川本の老工清三郎という人によって考案されました。その威力によって当時の製鉄業が大きく発展しました。この石碑は清三郎の功績をたたえ安政四年(一八五七)清三郎の百年忌に建てられたものです。
創天秤鞴記
(てんびんふいごをはじむるのき)
左即面碑文通読
天秤鞴は 冶鉄家の要具にして その製は両鞴一鈩 鞴は乃ち鈩を隔てて相対す。
鞴と鈩の間は 管数十を設け 埋めて地中に在り。 左右各二人 鞴上に立ち 鞴を踏んで以て風を起し 鞴より鈩に通ず。 鈩極めて大なり。 故に風火また熾んにして 銷鈩の力從って 常の鈩に倍す。 天秤は もと量を秤る具なり。 今此の器に名づくるは その形相似るを以てなり 享保中 村の老工清三郎 意匠を以て此の器を創む
子孫世 その法を複し 製りて以て業と為す。 以来本州乃隣国の鈩主 争い請いて之を造り 今に於て百有余年 冶鉄の利益盛んなり。 玄孫清三朗来たりて碑文を徴す。 予不敏なれども 聊か其の聞く所を叙して以て責を塞いで しか云う
安政四年丁巳五月
石州 森脇嘉善可成 記
備後尾道 高木雅方 書右即面銘文通読
祖君清三郎は性巧思多く 好んで機械を製る 享保中 冶鋳盛んに行わるるも顧みて鞴鈩の力弱く労多く功少し祖君之を患い 朝暮心を練り 新に天秤鞴を造る
既に成り 之を試すに甚だ便なり。 是に於て 郡国産鉄の山 此の器を用いざる無し 子孫其の法に依って 安んじて業を以て坐食す 宝暦八年戌寅十月二十二日 病に臥し家に没す。 法諡に曰く 誠誉證念居士と。 今茲 其の百年の忌辰に丁りて 介輔四氏 余に謂いて曰く。 祖君の大功は 豈之を空しうす可けんやと。 諸郡国の冶主と謀りて 浄財若干を得て 将に碑を建てて 以て不朽に示さんとす。 大冶主藤間君為に余代りて撰文をなす 安政丁巳五月勒石を遂げて云う 銘に曰く 創製の冶器 便にして 簡易
其の功侘に及ぶ 玄孫 清三郎 謹んで之を建つ
豈 記せざる可けんや
渡里忠男氏解読