天狗鍛冶の 発祥地
てんぐかじのはっしょうち
紀勢本線
ここには“
「天狗鍛冶」についての情報は 下記の2つの説明板に書かれた内容がすべてであり,その他には ほとんど得られていない。
写真
碑文
熊野市指定文化財
史跡 天狗鍛冶鍛冶の発祥地
(近藤兵衛屋敷跡)
ここは,近藤兵衛という者の屋敷跡で,東西六四メートル,南北四五メートルの広さがあり,頂上は,高一メートル,
天端 一メートルの卵形の土居が残る,中世の館の形式である。
兵衛のことについて詳細は不明であるが,武士であると共に修験者でもあり,この場所で鍛冶を職とし,別名天狗鍛冶とされ,新宮の権太吉久・吉兵衛,久兵衛は兵衛より矢の根の技術を伝授されという。また,豊臣秀吉に度々矢の根を献上している。その他,槍,刀,など,数は少ないが現存している。指定 昭和四十四年七月十七日
熊野市教育委員会
天狗鍛冶屋敷跡 (熊野市指定文化財 史跡)
熊野天狗鍛冶の発祥地
屋敷跡は大丹倉の北にあり,縦13m横9mの方形で高さ1m足らずの土手に囲まれている。今でも金属の原料などが出土している史跡である。
文禄(1592~96)のころ,丹倉の山守をしていた近藤兵衛という武士がいた。兵衛は大丹倉の岩壁にこもり,荒行をする修験者でもあった。神出鬼没の行状から,里人は彼を天狗さまと畏敬するようになったという。
兵衛は矢の根鍛冶を得意としており,新宮の権太吉久(ごんたよしひさ)という鍛冶に矢の根の技術を授けた。吉久は,これを受け継ぎ,天狗吉久という名で矢の根鍛冶を続け,太閤秀吉に度々矢の根を献上したという。これが天狗鍛冶の始まりといわれている。現在、有馬町にある歴史民俗資料館には,「天狗吉久銘の槍」が展示されており熊野市指定文化財となっている。
また,ここから引き返す途中に丹倉(あかぐら)神社がある 。祭神は近藤兵衛と高倉下(たかくらじ)で,御神体はしめ縄を張った巨岩である。天保10年(1839)と刻まれた御神灯があり,その横に木本浦の船津憲之が寛延3年(1750)に寄進した大きな鼎(金属の器)がある。黒潮回廊と神々の古郷 熊野市