東京税関 発祥之地
とうきょうぜいかんはっしょうのち
築地の 東京新阪急ホテル(聖路加レジデンス)の南西に 治作(中央区明石町14-19)という料亭がある。 治作の門前に 灰色の石碑が建っている。
鎖国政策を廃止して 横浜などが開港された 安政6年(1859), 長崎・横浜・函館 の3か所に「運上所」が開設されて 外交事務や運上の事務を扱うことになった。“運上”というのは, 江戸時代には 商工業者が払う税金の一種で, 現代風に言えば “取引税”のようなものだろうか。開港場に創られた“運上所”は 関税を取り立てる 役所だった。
ちなみに 幕末に開港された 5港のうち 横浜・長崎・函館 以外の2港の運上所開設は, 神戸:慶応3年(1868), 新潟:明治2年 (1869) であった。江戸の運上所も 慶応3年(1868) に, ここ築地鉄砲洲に設けられた。
「税関」という役所名が使われたのは明治5年(1872) からで, 関東地方では 横浜に置かれた(横浜税関)。戦後 昭和28年(1953) に「横浜税関東京税関支署」が廃止され, 新たに「東京税関」に生まれ変わった。
写真
碑文
史蹟
運上所跡東京税関発祥之地
江戸幕府は, 慶応3年(1867年)に, 江戸築地鉄砲洲明石町の一帯を外国人居 留地と定め, この地に税関業務等を行う 運上所を設置しました。
これが, 東京税関の始まりです。