洋紙製造 発祥の地
ようしせいぞうはっしょうのち
身延線 入山瀬駅の南 300m。国道176号 鷹岡本町通りから新富士製紙に入る三叉路にある小公園に, 旗を持つ人物の小さな像を乗せ「夜明けの像」と書かれた石碑が副碑と共に建っている。
富士市は製紙工業の盛んな町。王子製紙・日本製紙などの大企業の他, 数多くの中小製紙工場を含めると, 製紙工場は市内に70社近くあり, その数は全国一と言われる。また紙の総生産量は全国の12%のシェアがあり, 特にトイレットペーパーなどの家庭紙は生産量日本一を誇っている。
日本で最初の製紙工場は, 1872(明治5)年に渋沢栄一らが東京 王子に「抄紙会社」を設立したことに始まる。その後 グランドパルプ(木材パルプ)による紙の製造が計画され, 各地を調査した結果、原料となる木材が得られやすく水量豊富な
余談になるが,この年に原料の調達や製品の輸送のために吉原・鷹岡・富士宮を結ぶ馬車鉄道が開通したほか, 富士製紙会社第8工場(現 王子製紙富士工場)が新設されたため1909(明治42)年には東海道線の富士駅が開業した。この鉄道馬車は1913(大正2)年に富士-大宮間に富士
「洋紙製造発祥の地」碑の隣には「富士馬車鉄道駅舎跡地」の碑も並ぶ。
写真
碑文
夜明けの像
洋紙製造発祥の地
明治二十三年一月鷹岡村のこの地に, 全国初めの洋紙製造工場として富士製紙第一工場が創設された。それを機会に地域の人々の製紙についての関心が高まり製紙業の興隆に寄与す ることが大きかった。
この工場の創業に先立ち, 明治二十二年七月には吉原大宮間に大宮新道が新設され, また明治二十三年六月には, 鈴川駅から大宮町まで富士馬車鉄道が開通, 南富士産業の要地としての現在の鷹岡本町が形成されたのである。
鷹岡本町創立百周年を迎え, 記念碑を建立して先人の遺徳に感謝を捧げる。平成四年十一月吉日
背面の寄進者名欄は省略
夜明けの像
この少年像は明治二十二年 (1889年)にアメリカのブラッククローソン社より購入した抄紙機 のマスコット(幸運をもたらすお守り)として送られてきたものです。この抄紙機は富士製紙(現新 富士製紙)の第一号機として我が国で始めてグラウンドパルプによる新聞用紙の製造に成功した機械で一躍鷹岡地区の産業文化の夜明けをつげた意義あるものです。
現在は東京王子の紙の博物館にありますが 鷹岡本町百年を記念して再び故郷鷹岡の地に複製品としてもどってまいりました。平成四年十一月
富士馬車鉄道 駅舎跡地
静岡県下最初の馬車鉄道として 明治23年6月26日開業
入山瀬-鈴川間 7.5K
入山瀬-大宮間 6.6K
富士-長沢間 3.2K
合計17.3Kで岳南各地を結ぶ 唯一の交通機関として栄えたが 富士身延鉄道の開通により 大正14年その歴史を閉じた平成10年11月
鷹岡中央振興会
会長 川村義朗石工 鈴木石材