大阪府女子専門学校 大阪女子大学 発祥の地

おおさかふじょしせんもんがっこうおおさかじょしだいがくはっしょうのち

南海電鉄高野線 帝塚山駅から東に400m。万代池公園の北側に老人ホームがあり,その北側の空き地に石碑が建っている。

「大阪女子大学」は,大正13年(1924)に設立された「大阪府女子専門学校」を前身とする。公立の旧制専門学校で,公立としては福岡県立に次ぐ2番目に古い女子専門学校であった。戦後学制改革によって 「大阪女子大学」となったが,2005(平成17)年に府立大学の統合・再編計画によって,「大阪府立大学」に統合された。

大阪女子大学の沿革
大正13(1924)
大阪府東成郡天王寺村に大阪府女子専門学校が開校
大正14(1925)
大阪市住吉区帝塚山に移転
昭和24(1949)
大阪府女子専門学校を母体に大阪女子大学が発足
昭和51(1976)
堺市大仙町に移転(大仙キャンパス開設)。
平成17(2005)
府立大学の統合・再編に伴い,(旧)大阪府立大学,大阪府立看護大学を統合して大阪府立大学となる。大阪女子大学としての学生募集を停止。
平成19(2007)
大阪府立大学中百舌鳥キャンパス(堺市中区)へ移転。

帝塚山校舎の旧図書館は,2004(平成16)年より大阪府公文書館として利用されていたが,公文書館は 2011(平成23)年に大阪府庁本館に移転して,現在は更地になっている。その他の用地は老人ホームに転用された。


平成21年(2009)にはまだ当地に建物があり、建物敷地の南東隅という感じだったようで、2012年の訪問時は取り壊されて空地となり石碑はそのまま保留だった。後に当地にまた新築となり、平成28年(2016)頃までに石碑は西側道路際に移設された

写真

  • 大坂女子大発祥の地
  • 「われら集ひし」

碑文

発祥之地
大阪府女子専門学校
大阪女子大学

  「われら集ひし」学舎52年のあゆみ

「大阪府女子専門学校」は実業家山田市郎兵衛氏の篤志をうけ,1924(大正13)年4月1日大阪府関係者の熱意により開校が実現した。全国第2番目の公立女子専門学校である。
 1949(昭和24)年4月1日,教育改革により「大阪女子大学」となる。
 1976(昭和51)年に大仙学舎へ移転するまでの52年間女子高等教育の拠点として大きな役割を果たした。この学舎での卒業生は6641名。広く社会に貢献する多くの人材を輩出している

2007(平成19)年6月1日

大阪女子大学斐文会

地図

地図

住吉区帝塚山東2丁目 付近 [ストリートビュー]