友釣り 発祥の地 縁の岩

あゆともづりはっしょのちえんのいわ

中国自動車道 山崎I.C.から北に6km。揖保いぼ川に沿って国道29号 因幡街道を北上すると,神河橋の少し手前の道路脇に石碑が建っている。

鮎は自分の棲む川の一定の範囲に縄張りを持ち,これを侵してくる別の鮎に対して攻撃をしかける性質がある。この性質を利用して, オトリの鮎に針をつけて攻撃してくる鮎を引っかけて釣り上げる漁法を「友釣り」という。

鮎の友釣りは日本独特の釣法であるが,その発祥地に関しては 最も有名な狩野川(静岡県)や八瀬川(=高野川,京都府)など諸説あり,その一つとして 揖保川(兵庫県)説がある。

この地には“下駄屋甚平”という言い伝えがあり,これが揖保川発祥説のもとになっているようである。発祥碑の少し川下に説明が設置されている。

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  • 鮎友釣り発祥の地 縁の岩

碑文

鮎友釣り発祥の地 縁の岩

宍栗市・しそう観光協会

アユの友釣り発祥の地

これより約3.5km上流,山崎町五十波いかばの地にある「エンノ岩」と呼ばれている揖保川に突き出た岩は,古文書にも記されている伝説のアユの友釣り発祥の地である。伝説によると…
昔,五十波に「下駄屋甚平」という天下一品の腕前を持つ下駄職人が住んでいた。
甚平さんは,ある夏の日,揖保川の清流を覗き見ると,一匹のアユが激しい縄張争いをしていた。このアユの闘争行動に興味を持った甚平さんは,アユそっくりな形をしたものを作り,その尻の方に針を付け,小石を錘にして流れの中に入れたら釣れるかも…と考えた。
下駄作りに使っている木を材料に,日頃の腕を振るって見事な擬似アユを作り上げた。
さっそく自宅近くの「エンノ岩」へ行き,流れの中に入れた。しばらくすると,アユが縄張を守ろうと擬似アユめがけて猛烈な攻撃。思い通り尻の方に付けた針にかかり見事に釣り上げることができ,甚平さんは大喜び。しかし,終日がかりでたった三匹しか釣れなかった。
そこで「擬似アユでなく,元気な生きアユをオトリにすればどうだろう…」と思いつき,これを実行したところ面白くてたまらんほどアユがつれた。
それからは下駄づくりの仕事をほったらかしでアユ掛けに明け暮れたそうな。これがアユの縄張習性から考えだされた,今で云う「アユの友釣り」の始まりである。
この友釣りのことが,山崎町にやってきた商人によって全国各地に伝えられたという。

清流を大切に
しそう観光協会
揖保川漁業協同組合

地図

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宍粟市山崎町五十波 付近 [ストリートビュー]