田楽 発祥の地

でんがくはっしょうのち

 
調査:
2015年5月(写真 まさ・なち さん)

東海道本線 草津駅の南東、東海道新幹線を通り過ぎた住宅地の一角に、高さ2mほどの標柱が建つ。そこからすぐ南西に「まや跡」、さらに約200m先に「京いせや跡」と、同じデザインの標柱が3つ並ぶ。

田楽でんがくと言っても、芸能の方ではなく、砂糖や味醂などで練った味噌を付けて焼く料理。こちらでの田楽はおとうふの田楽だったらしい。

東海道52番目の宿場 草津宿と、51番目の宿場 石部宿の間には目川めがわ・梅木の2つの立場たてば(休憩所)が設置された。当地は草津側に近いの目川立場。とうふに味噌を塗り付けて焼いた田楽がこの目川で話題になり、目川田楽と呼んで親しまれた。東海道名所図会ガイドブックにも描かれているという。田楽に地名を冠したものは全国でも見かけない。

目川立場をまかされた伊勢屋の岡野五左衛門が出した、菜飯に田楽と酒に「菊の水」が評判を呼び、後にこじまやと京いせやが開業して尚人気となったようだ。後発ながら3軒のうちで一番西側に位置する、京に一番近い「京いせや」は浮世絵にも描かれ、大正期まで営業が続いていたとか。

写真

  • 田楽発祥の地 立札
  • 田楽発祥の地

碑文

田楽発祥の地

滋賀県栗東市
岡三八四番地

東海道間の宿岡村目川立場
立場茶屋元いせや岡野五左衛門屋敷跡

目川立場
田楽茶屋
元伊勢屋跡

東海道を往来する旅人の休憩所として江戸幕府によって立場茶屋が置かれた。
ここで今日された食事は地元産の食材を使った菜飯と田楽で独特の風味を有し東海道の名物となった。
天明時代の当家の主人岡野五左衛門は「岡笠山」と号した文人画家である。
与謝野蕪村に師事し、その力量は「よく師法を受け、筆神に入る」と賞賛され「幕府の命じ応じて揮毫し、将軍の覧に供す」と記録されている。
作品には氏神の小槻大社へ奉納された大絵馬の外、地元にも数点の作品が残されている。

治田学区心をつなぐふるさと
創成事業実行委員会

地図

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