独立歩兵 第七十大隊 発祥之碑
どくりつほへいだいななじゅうだいたいはっしょうのひ
予讃線 丸亀駅から南東に約1km。丸亀市の中心部, 丸亀消防署と護国寺 護国神社の間に明治天皇行在所址碑があり、その手前に石板が建っている。護国神社という性格なのか、旧軍に関する石碑がてんこもりのエリア。
旧日本軍の組織については よく分からないところがあるが, 昭和28年(1953) 発行の「丸亀市史」などによると, 明治の初めに 日本各地に連隊が結成された時に, 丸亀の地に置かれたのが「第十二連隊」で, 日清戦争・北清事変・日露戦争に海外派遣されている。大正9年(1920) 9月17日に, 師団主力の再編成があり, 「第十一師団」内の「歩兵第十旅団」 下部に この「独立歩兵第七十大隊」が設置されたらしい。
丸亀市大手町地区再編計画により、明治天皇行在所址碑隣地の消防訓練舎が取り壊され、令和3年(2021) に税務署が移転してきた。その再整備事業によって鉄柵前にあった当碑は、隣接する護国神社狛犬の下に移設された。
写真
碑文
南支派遣軍
独立歩兵第七十大隊発祥之碑
大隊のあらまし
昭和13年9月11日, 丸亀歩兵第十二聯隊留守隊に於て, 南支派遣軍の小独立部隊 (約800名)が編成され, 出動下命。バイアス湾の上陸を皮切りに, 広東・仙頭・潮州・海南島北部雷州半島等, 瘴癘の各地を転戦し, 終戦の直前には孤軍奮闘, 百対一の決戦を経て, 昭和21年4月1日, 神奈川県浦賀に於て, 部隊を解散した。
紫岳 撰書
一九九七年 秋声 香川七〇会建之