府中の 陸上競技 発祥之地

ふちゅうのりくじょうきょうぎはっしょうのち

京王線 府中駅から北西に300m。府中第一小学校の正門から入って右手の自転車置き場の前に「府中の陸上競技発祥之地」と刻まれた黒色の大型の石碑が建っている。

大正8年(1919),当時の東京府北多摩郡内の25町村の青年団が競う“陸上競技大会”が開催された。ここ府中町でも新たに青年団が結成されて参加した。しかし競技大会で上位の成績をあげるには,日頃の練習が必要であることを痛感して,練習場を造ることになった。

青年団は“陸上競技部”を設け,学校建設予定地として町の所有となっていた現在府中第一小学校のあるこの場所を期限付きで借用し,青年団のボランティアで整備して ホームグラウンドとなる競技場(練習場)を造成し,選手の育成をはかった。これにより,府中町青年団はその後の競技大会で好成績をあげ,黄金時代を築いた。

この地には,1936(昭和11)年に小学校が建設されて,競技場は消滅した。

写真

  • 府中の陸上競技発祥之地
  • 府中の陸上競技発祥之地  背面
  • 府中の陸上競技発祥之地
  • 府中第一小学校 (2019)
  • 府中の陸上競技発祥之地  (2019)
  • 府中の陸上競技発祥之地  (2019)
  • 府中の陸上競技発祥之地  背面(2019)

碑文

府中の陸上競技発祥之地

府中市とその前身である府中町は,古く大化の改新によって,武蔵野国府が置かれた事にはじまり,歴史と伝統に輝く政治経済文化の中心として栄えてきました。大正八年府中町青年団が組織され,第一回北多摩郡二十五ヶ町村青年団対抗陸上競技大会が開催されました。この大会に優勝することを目標に大正十四年の春,青年有志相集い府中町青年団陸上競技部が誕生しました。この土地は小学校用地に予定されていた所で,学校建設までの十数年間,青年団が借入れ全団員の奉仕によってこの地を開墾し,陸上競技場として整備されて以来,ホームグラウンドと定め部員の猛練習の場として,好選手好記録が生れ,府中陸上競技部の黄金時代が築かれました。この地こそまさに,府中近代陸上競技発祥の第一歩が印された所であり,今日のスポーツ府中に発展した礎が築かれた印象深い所です。茲に同志相寄り,この事象を長く後世に伝えるため,記念碑を建立するものであります。

昭和五十六年十月二十九日建立

(芳名省略)

北多摩郡青年団大会(二十五ヶ町村)第一囬大会は大正八年四月に開催され、第二十四囬大会の昭和十七年十一月に戦争で中断された此の間、府中町青年団は優勝十二囬に及ぶ、全国青年団明治神宮体育大会を初め、東京髙等農林、一市五郡選手権、青梅、八王子、町田、神奈川の麻溝等、各大会に出場、戦後復活され地区対抗陸上競技大会に於ても、各選手が活躍され陸上府中のスパイクの跡は輝しき記録を残した。

地図

地図

府中市寿町2丁目 付近 [ストリートビュー]