藤倉電線 千駄ヶ谷工場 発祥の地

ふじくらでんせんせんだがやこうじょうはっしょうのち

新宿駅の南口から甲州街道を西に700mほど進むと, 南側(文化学園の手前)に23階建ての新宿文化クイントビル(渋谷区代々木3丁目22-7)がある。このビルの東側に回り込むと木の下に四角い碑がある。

以前は、剥いた絶縁電線を象ったモニュメントを戴く碑だった。
㈱フジクラ千駄ヶ谷工場発祥の地

「フジクラ」は 旧社名を「藤倉電線」といい, 文字通り 電線や電子部品などのメーカーで, 創業は 明治18年(1885)。神田淡路町の工場で裸電線を絹や綿の繊維で絶縁被覆した 絹(綿)巻線の製造を始めた。

明治23年(1890), 代々木駅近くの土地を買収して初代の千駄ヶ谷工場を建設。 ここで水車を動力にしてゴム被覆の電線を製造開始した。1896(明治29)年, 現在の文化女子大学のあたりに千駄ヶ谷工場を移転。初めて蒸気機関を動力にして ゴムの製造と電線製造を開始。

明治34年(1901)「藤倉電線護謨合名会社」を設立。明治43年(1910) には事業規模拡大により, ゴム事業と電線事業を分離して「藤倉電線株式会社」となった。大正12年(1923) 本社・工場を 深川の現在地に移転。その後本社は霞ケ関(昭和43年1968), 五反田(昭和52年1977) と移転し, 平成2年(1990) に現在地深川工場の跡地に再び移った。

平成4年(1992) 社名を「株式会社フジクラ」と改称。


以前の碑は、電線のモニュメントもよくできていたのにどういう理由で入れ替わり、以前の碑はどのような処遇なのか興味があるところである。

写真

  • 藤倉電線千駄ヶ谷工場発祥の地
  • 藤倉電線千駄ヶ谷工場発祥の地 背面
  • 藤倉電線千駄ヶ谷工場発祥の地
  • 藤倉電線千駄ヶ谷工場発祥の地

碑文

藤倉電線 千駄ヶ谷工場
発祥の地


2016年2月吉日
株式会社フジクラ

(1992年10月1日、藤倉電線から株式会社フジクラへと社名変更を行った)

地図

地図

渋谷区代々木3丁目 付近 [ストリートビュー]