布海苔 発祥の由来

ふのりとうせきじぎょうはっしょうのち

大湊線の終点 大湊駅から 北西に30km余り。 下北半島の先端,本州最北端の大間岬から南東に10kmほどの 蛇浦の海岸に“布海苔記念公園”がある。ここに「下北半島と共に生れた布海苔です」と刻まれた 大きな石碑 (「布海苔投石事業発祥の地碑」と呼ばれる)と,その近くに「布海苔発祥の由来」と書かれた副碑が建っている。

フノリ(布海苔)は,海藻の一種で,海岸の岩に付着して生育する。日本全国の海岸で広く見られるが, 水の環境に影響されやすく,水の澄んだ海岸で 2~4月の短い期間にのみ採取される。フノリは 食用(刺身のツマ,味噌汁の具,酢の物・ソバのつなぎ材など)として利用されるほか,糊(建築・陶芸などの天然糊材)や 織物の仕上げの糊付けなどにも用いられる。

発祥の由来については 下記の碑文に詳しく書かれているが,ここに名前が出てくる 佐賀平之丞 という人物は,下北半島の下風呂温泉に生まれ,江戸末期に 北海道の増毛ましけ留萌るもいに漁場を経営した漁業家・開拓者。 “根津屋”という屋号の海産物問屋を営んでいた。

この地 下風呂は津軽海峡に面しているが港がないため,北海道の海産物を下北に運ぶ廻船を停泊させる 船着場を造るため 多数の石を投入。 翌年 この石にフノリが付着しているのを発見し,フノリが人工的に養殖できることが確認され, その後全国にこの養殖法が広まった。

写真

  • 布海苔発祥の由来
  • 布海苔記念公園
  • 布海苔発祥の由来 碑文

碑文

下北半島と
共に生れた
布海苔です

平成六年三月二十七日

蛇浦漁業協同組合
 組合長理事
木下順象 書

布海苔ふのり発祥の由来

 明治初期頃,当時下風呂の船入り澗が悪 く,海産問屋・佐賀平之丞氏(1827~1892)は船入り澗の改修工事を村人の人足により行い,護岸や防波堤工事に捨石が使われた。
 それから一年目の干潮時捨石に布海苔が 着生しているという貴重な発見をした。 新しい石に布海苔が着生するという事実は 捨石すれば布海苔漁場が拡大出来るという ことが頭のなかにひらめいたからである。
 当時の住民の生活は貧しく,漁民は山稼 ぎと海藻の採取のみの生活であり,捨石により新しい収入の途がひらけた,その後青 森県内及び全国的にこの事業が行なわれるようになった。
 現在では,漁業振興の一環として国・県 ・村補助事業により各漁業協同組合の事 業として行なわれ,漁家経営の安定を図っている。

平成六年三月

風間浦村長  小野慎一

地図

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