ゴム産業 発祥の地

ごむさんぎょうはっしょうのち

九州新幹線・鹿児島線 久留米駅の東口ロータリーに、一際大きなゴムタイヤが展示されており、その横にゴム産業発祥の地を説明した案内板が立っている。

直径4m、重さ5tのタイヤは世界最大級の鉱山車両用タイヤで、現場と生産工場以外にドカンと置かれているのは、ブリジストン発祥の地である久留米だけといわれている。

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碑文

久留米から世界へ
ゴム産業発祥の地

日本のゴム産業の発展と技術革新に貢献

久留米市は、ゴム産業を中心に栄え、現在も多くの関連企業が立地しています。その代表には、久留米市を発祥の地とするムーンスターやアサヒコーポレーション、ブリヂストンなどの企業があり、それら企業は日本のゴム産業の発展と技術革新に貢献してきました。

久留米市でのゴム産業の始まり

1873年(明治6年)、倉田雲平は半物と軽視されていた足袋の製造に注目し、「つちやたび(現在は「ムーンスター」)」を創業した。1892年(明治25年)、石橋徳次郎が創業した仕立物や「志まや」を石橋重太郎・正二郎兄弟が継承。石橋兄弟は足袋専業に踏み切り、足袋を均一価格で販売するなど当時としては斬新なアイディアで成長し、1918年(大正7年)に「日本足袋(現在は「アサヒコーポレーション」)」を設立した。

1923年(大正12年)に「日本足袋」と「つちやたび」は底にゴムを貼った地下足袋の販売を開始し大きく飛躍、両社はゴム製品製造業へ移行する。その後、ゴム靴の生産や海外への輸出を始め、その成長はめざましいものであった。

1930年(昭和5年)、「日本足袋」は自動車用タイヤの試作に成功。翌年、石橋正二郎は久留米市に「ブリッヂストンタイヤ(現在は「ブリヂストン」)」を設立し、その直後より自動車用タイヤの輸出を開始した。

足袋から地下足袋、ゴム靴、そしてタイヤの生産とゴム産業は拡大を続け、久留米市の中心産業となった。

地図

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久留米駅東口 付近 [ストリートビュー]