合理飛行機 初翔地
ごうりひこうきはっしょうち
丸亀市の 亀山公園(丸亀城跡)の北に隣接する“市民広場”の一角に、2つの石碑が並んで建っている。一つは「合理飛行機初翔地」もう一つは 「初翔地碑の建立趣意」の碑である。「発祥」ではなく「初翔」という文字が使われているのがユニーク。これで「はっしょう」と読んでよいのだろう。
二宮忠八という人は、カラスが飛ぶさまを見て 飛行原理を思いつき『カラス型飛行器』を作り出した。 ゴム動力の模型飛行機で, 最初の飛行実験では 30メートル飛んだとい記録が残っている。明治24年のことである。
その後、人が乗れる実用的な飛行機の設計を行ったが認められず実現しなかった。ライト兄弟が飛行機を発明したのはその後のことである。
追記
丸亀にお住まいの H.T. さんから「合理飛行機の碑が 元あった場所から移動している」との連絡をいただいた。移転先は、元あった“市民広場”から200m北の、丸亀市立東中学校の敷地内で、隣の別の中学校との境目近く。
この碑はなぜ移動した(させられた)のか不明だが、移動先の石碑を見ると「元航空幕僚長 竹田五郎」の名前がなくなっている。石碑の表面が見事に削り取られているのがわかる。一体どういう事情があったのだろうか。氏は昔の日本男児なのでいろいろ失言はあるものの、一旦は石碑に刻まれた名前である。
好奇心が湧いて来る。情報をお持ちの方は是非ともお知らせください。
地図は移転後の場所を表示しています。
写真
碑文
為二宮忠八翁
合理飛行機初翔地
元航空幕僚長 竹田五郎
記念碑建立趣意
二宮忠八氏は 1866年6月9日 愛媛県八幡浜に生れ 丸亀歩兵第十二連隊に在籍中, 演習の帰途 仲多度郡十郷村の樅木峠で 烏の飛ぶ群れを見てヒントを得 飛行原理を発見し 現丸亀市役所の敷地で 2年に渡る研究を重ね 烏型模型飛行機を考案 1891年4月29日 旧丸亀東練兵場でゴム動力を使った 初飛行に成功した このことは ライト兄弟の飛行成功の 12年前である 本年は 氏の飛行成功100周年にあたるのを顕彰し その偉業を讃え 初飛行縁りの地である ここに記念碑を建立する
1991年4月29日
香川県二宮忠八翁顕彰会