江州音頭 発祥地
ごうしゅうおんどはっしょうち
臨済宗 千樹禅寺(犬上郡豊郷町下枝111)は、戦国時代、織田信長の兵火にあい焼失。しかし、本能寺の変で信長亡き後、近江商人となった藤野喜兵衛の先祖、太郎右ェ門が寄金して寺を再建。
この7月17日(旧暦)の落慶法要において、住職が境内に仏教にちなんだ人形をたくさん並べ、お経に音頭の節をつけて唱い、しかも手ふり足ふり拍子をそろえて踊り、見物人も踊りだしたのがはじまりとされる。
さらにその後、観音堂改築の遷仏供養においてあらたに音頭が作られ花笠や扇子を持って踊るようになり、好評を得、現在の8月17日の扇踊り、日傘踊りに通じているという。
寺前の左右に、雰囲気の違う発祥碑が建っている。入口左側に石碑が建ち碑文も副えられているが、入口右側柳の木の下に、太鼓橋の上で踊る様子が描かれたレリーフが置かれている。二つに分けてある理由は定かではない。
写真
碑文
江州音頭発祥地
観音堂(千樹寺)と盆踊り
江州音頭発祥の起源
天正十四年(西暦一五八六年)今から四百五年前、藤野太郎右衛門常実が兵火(永禄十一年五月七日織田信長の)後の観音堂を再建して、其れ竣成せし、遷仏式を挙しが、旧暦七月十七日であった。
当日余興にと、仏教に因む造り人形を数多く陳列し、又仏教弘道の一手段として、地元の老若男女を集め手踊りをさせ、又、文句は羯諦羯諦波羅羯諦。波羅僧羯諦。等(時の住職根與上人)経文の二、三句を節面白く歌いつつ、手振り、足振り揃えて、多くの人で円陣を作り踊らせ、来観の群衆もあまりの楽しさに参加して踊ったと伝えられる。
その後、毎年七月十七日、盆踊りを催し、枝村観音の踊りは遠近の人々で益々多くなった。
弘化三年、藤野四郎兵衛(良久)は、観音堂を改築して、その遷仏供養に古例の踊りを催せしが、特にこの時、種々の花傘とか華美なる扇子を持ちて踊らせ、音頭(音頭取・桜川大竜)も陣新なる文句を作り、益々好評を博し、その後他村の社寺は勿論、他共同の祝事には此、手踊りを催すこととなり、今では、毎年八月十七日観音盆には、扇踊り、日傘踊りを踊り好評を博している。竣工 平成三年十月
江州音頭発祥地
近江国
豊郷町下枝