半原学校 発祥の地
はんばらがっこうはっしょうのち
横浜線・京王相模原線 橋本駅から南西に14km。相川ふれあいの村野外センター前バス停近くの国道412号から信号を曲がってすぐの細い急坂を上っていくと右側に開けた場所の斜面に石標が建つ。
明治6年(1873)11月12日に、この斜面の少し上に開校した。開校当初地域の子どもたちへの教育の普及という熱意に支えられ、着実にその歩みを進めた。
生徒数が徐々に増え、明治12年(1879) に発祥の地から約300m離れた場所に新たな校舎が建設された。その後も児童数の増加は続き、手狭になり、大正15年(1926) に現在の愛川町立半原小学校の敷地へと再度の移転が行われた。
この場所に建てられた木造校舎は県内最古級の校舎の一つとして現存している。かつて郷土資料館として利用され、現在は「懐かしの学び舎」として歴史講座などに活用されている。
写真
碑文
半原学校発祥の地
はんばらがっこうはっしょうのち
半原学校は、学制公布の際、この上にあった観音堂を校舎として開校。明治十二年に字臼ヶ谷に地を求めて移転した。平成十二年三月三十一日 愛川町教育委員会