火の国 発祥の地

ひのくにはっしょうのち

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九州縦貫自動車道 宮原S.A.下り(八代郡氷川町早尾1051)の、二輪置き場近くに石碑が設置されている。

写真


碑文

火の国発祥の地

みやはら

火の国発祥の地……宮原町

氷川は、むかし「火ノ川」と呼ばれていた。
氷川の水源は、遠くの泉村の岩奥川や栗木川にあり、一つは下厳、北種山を経てくだり、もう一つは座連川、鹿路川、川俣川となり、北種山川に合流し、その川を「火ノ川」と呼んだ。この川筋には火打ち石が多い。
いまの氷川は、種山川から「火ノ村」(立神一帯から宮原地方の村名)の畔りで火ノ川と呼ばれ、八代湾に入った。火ノ川は、後世になって肥伊川と呼ばれ、近代に入り氷川となった。
氷川を火ノ川と呼んでいたころ、宮原一帯の集落は、火ノ川畔りの「火ノ村」と呼ばれていた。
火ノ村は、国や郡や郷の名が、すべての漢字の二字書く定めができたため、「肥伊」の郷となり、七世紀の後半ごろ「火の国」と改められ、さらに「肥の国」と改称され広がり、肥前と肥後国の名前に発展していった。

宮原郷土誌より

【由来】

景行(ケイコウ)天皇が、熊・襲を討伐し、筑紫から巡幸されたが、船で帰ろうと芦北を出発したが、日が暮れて暗くなり日が暮れて暗くなり方向が分からなく困っていると、突然、火の光が上がって、はるかに行き先が見えた。
「直ちに火のところを目指せ」と景行天皇が命じ、そのまま行ったところ岸に着くことができた。「何という邑ぞ」と景行天皇が問うと、「ここは火の国八代の郡の火の邑なり。ただ火が出たところは分かりません。」と天皇と国びととの問答があり、天皇は、「今この燃える火は、これ人の火にあらじ。火の国となづくる。」

地図

地図

氷川町早尾 付近 [ストリートビュー]