常陸 秋そば 発祥の地
ひたちあきそばはっしょうのち
7年かけて昭和53年(1978) に在来品種から選抜育成されて作られた「常陸秋そば」が 、昭和60年(1985) には奨励品種となった。もともとタバコ産地で春にタバコを植え、夏からタバコの後の裏作として作付されるようになった。
当地にあった「葉たばこ」碑も隣に並べられた。
令和6年(2024) 11月13日除幕。
新そばの季節🥢~そば街道の石像を見てみよう!
— 茨城県県北農林事務所【公式】 (@ibahokunourin) November 20, 2024
①赤土町:#常陸秋そば 発祥の地記念碑はそばの花がモチーフ
②上利員町:リアルなそば打つ人
③そば工房:そばと長寿の椅子
④赤土町:愛らしい胸のハート:戌
📢11/24金砂郷けんちん村祭りが交流センターふじで開催されます!#茨城県 #常陸太田市 pic.twitter.com/EHlK5Qqhio
近くには、水府煙草栽培起源の碑もある。
写真
碑文
水郡線 山方宿駅から東に8km、赤土集会所から浅川沿いに北に入った、道が少し広くなっている場所にステンレス製の発祥碑が設置された。
常陸秋そば発祥の地
『常陸秋そば』は、一九七八年、茨城県農業試験場が久慈郡金砂郷村赤土(当時)で耕作されていた在来種をもとに新品種の育成に着手し、厳しい選抜育成を経て完成しました。
全国有名そば店やそば職人からも「品質日本一」「玄そばの最高峰」と高い評価を受け、日本中の“そば通”に愛されており、一九八五年には茨城県の奨励品種に採用されています。
ここ常陸太田市赤土町には水田に適した土地が少なく、その代用食としてそばが作られていました。そして、そばは、貴重な換金作物である葉たばこの裏作としても非常に適していたのです。
山あいの傾斜地は昼夜の気温差かが大きく、霧の立ちこめる地形が味のよいそばを育てます。そばづくりには、ほ場の水はけが大変重要であり、文字通り“赤く小石の混じった赤土町の土壌”は、そばの生育に非常に適しています。
そばづくりに携わった先人の労苦を偲び、常陸太田市産常陸秋そばのさらなる生産振興を願い、ここに記念碑を建立します。二〇二四年十一月吉日 常陸太田市