北海道 鰊漁 発祥之地

ほっかいどうにしんりょうはっしょうのち

津軽海峡線 知内駅から 南東に20km。福島町役場から国道228号 松前国道を2.5kmほど南下すると,白符しらふの集落に出る。“白符ふれあいセンター”の向い側に“白符小学校”への案内標識があり, これと並んで 白く塗られた木柱に黒字で「北海道鰊漁発祥之地」と書かれた木碑が建っている。 既に大きく傾いていて すぐにも倒れてしまいそうだ。

江戸時代から明治時代まで,北海道の日本海沿岸はニシン漁で大変賑わい,いわゆる“ニシン御殿”と呼ばれる 豪壮な網元の住宅が建てられ,北海道における一大産業となった。そのような北海道におけるニシン漁業は,室町時代の文安2年(1445) に陸奥の国の馬之助という名前の漁夫が 松前地方の白符村に来て,網を使ってニシン漁をしたのが最初だと言い伝えられている。

これには異説もあるようだが,福島町では この伝承を基に“北海道におけるニシン漁の発祥の地”である と称している。

松前地方のニシン漁は 江戸時代中期(18世紀後半)から衰退しはじめ,漁場は 小樽から留萌の方に北上していった。 北海道における最大漁獲高を記録したのは明治30年(1897) のことで,100万トンにも及んだ。 しかし その後漁獲量は徐々に減少し,大正以降になると ニシンの姿はあまり見られなくなり, 1950年代以降の漁獲量は 数千トン程度,ピーク時の1万分の1以下 と壊滅的状態になっている。

魚の保存技術がなかった当時は,ほとんどが ニシンカス(肥料)として関西方面などに送られ, 当時盛んになった綿花や藍の栽培に用いられた。ニシンがもたらした利益は莫大で,このため ニシンは「鯡」という文字があてられ, 「魚に非らず 米にも匹敵する貴重な魚」として扱われたという。


2014年版のストリートビューに写っているが、大きな傾きを維持したまま(?)、塗り替えられ大切にされている(?)ようだ

写真

  • 北海道鰊漁発祥之地
  • 北海道鰊漁発祥之地
  • 北海道鰊漁発祥之地 背面
  • 北海道鰊漁発祥之地.

碑文

北海道鰊漁発祥之地

建立 平成九年三月十日 長野県外山昭男

地図

地図

福島町字白符 付近 [ストリートビュー]