木彫熊 北海道 発祥の地

きぼりのくまほっかいどうはっしょうのち

北海道八雲町、函館本線 八雲駅から北西へ徒歩約10分の場所に、八雲町公民館(八雲町末広町154)があり、建物正面に熊の顔を彫り込んだ碑が建つ。もとは薄暗く手入れのされていない公園にあったもので、平成23年(2011) に引っ越してきたものだ。

公民館隣は、その名も八雲町木彫り熊資料館。八雲町郷土資料館と隣り合っている。碑の隣には「徳川さん」とだけ書かれた胸像があり、事情を知らない人にはどこの徳川某氏なのかわからない。

この「徳川さん」は徳川義親(1886-1976)。尾張徳川家の第19代当主で、木彫り熊を日本に伝えた人だ。八雲町はに明治11年(1878)から尾張徳川家が士族移住を開始し、徳川農場を拓いた。義親が当主となったのは1909年。その頃から度々八雲町を訪れては熊狩りをしていたという。

 大正10年(1921)にスイスの農業を視察した義親は、スイスの農民が冬季の副業として作った民芸品の熊の木彫りを持ち帰り、八雲の農民にも奨励した。木彫り熊資料館にはスイス製の木彫り熊と、北海道で作られた第1号の木彫り熊が展示されている(残念ながら撮影は禁止)。

 木彫り熊と言えば、鮭をくわえたあの姿。どの家庭にも一つはある(?)北海道土産物の代名詞だろう。1960〜70年代の団体観光旅行華やかりし頃はアイヌ民族が彫った民芸品としてブームとなったが、近年は実際に北海道で彫っている人は少なくなった。資料館には多くの作家が制作した熊の木彫りが展示されており、鮭をくわえたものはむしろ少ない。熊そのものの彫り物や、スキーをする熊など大きさも形態も多種多様だ。現在、観光客向けにパロディとして販売されている鮭が熊にかみつく木彫り風の土産ものや、有名アニメキャラクター風に色づけされたものなどもきっちりと展示されていた。

 それにしても、アイヌ民族伝統の民芸品だとばかり思っていた木彫り熊が実は徳川のお殿様がスイスから持ち込んだものだったというのは新鮮な驚きで、それがきちんと資料として残されているというのも二重の驚きだ。

写真

  • 木彫り熊資料館
  • 木彫り熊資料館 館内
  • 木彫り熊資料館 館内
  • 木彫り熊資料館 館内
  • 木彫熊 北海道発祥の地
  • 木彫熊 北海道発祥の地 碑の由来 副碑
  • 木彫熊 北海道発祥の地 背面 碑文
  • 徳川さん像
  • 徳川さん像 碑文
  • 資料館説明

碑文

木彫熊
北海道発祥の地

北海道木彫熊発祥の地由来

 大正十年から十一年にかけて欧州の農村事情を視察した徳川義親候はスイスの農民が冬期間の副業として木彫熊を制作しているのに注目し、一個買い求めた。
 翌年、義親候はこうもり傘の骨を研いだノミで八雲の農民達に木彫熊の彫り方を教え出来た作品は買いあげる約束をしたところ酪農家の伊藤政雄がスイス製をモデルにして制作し大正十三年三月に開催された徳川農場主催の「第一回農村美術工芸品評会」に出品した。
 これが北海道における木彫熊第一号でその後農民達は「八雲農民美術研究会」を結成し徳川農場内のこの場所に熊を飼育してもらうと共に講習会などを開催して作品の技術向上に努めたのでわが国の代表的観光土産品として推奨されるに至り現在でも伝統は維持されている。

一九七八年九月吉日

題字  八雲町長 北口 盛

説明書 林珪雲
熊図  上村信光
施工  高橋石材店

碑の経緯

 この碑は、木彫熊制作を推進した徳川農場の事務所跡である国立療養所八雲病院敷地(独立行政法人 国立病院機構 八雲病院)に八雲町百年を記念して建立されました。当時は、「町立徳川公園」(宮園町128番地)として町民に開放されていましたが、病院の医療整備のため、昭和56年より自由に立ち入ることが出来なくなりました。このため、木彫熊制作を奨励した徳川義親候の銅像のあるここに碑を移設し、木彫熊の歴史と文化を顕彰することとしました。

平成23年6月2日
八雲町教育委員会

地図

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