本山茶 発祥之地
ほんやまちゃはっしょうのち
静岡市街から県道29号 梅ケ島温泉昭和線を安倍川沿いに北に上ると,大河内郵便局と平野公民館の中間 平野公民館の向かいのバス停近くに「茶租聖一国師鎌倉時代播種・本山茶発祥之地」と書かれた石碑が建っている。
安倍川流域で茶の栽培が行われるようになったのは,鎌倉時代に宋で修行をした禅の高僧 聖一国師が帰国に際して茶を持ち帰り,この地で栽培させたことに始まる。
発祥碑のある場所から 8km 3km程南の 竜西橋近く
写真
碑文
茶租聖一国師
鎌倉時代播種本山茶発祥之地
徳川代々将軍御用茶献上
昭和天皇献上茶奉謹製昭和四十一年南無地像菩薩 為水難六道四生群萌類
有縁無縁三界萬霊 十方至聖真冨士三十三観音霊場参道入口
第一番札所 少林禅院 是依り
東へ三丁平野を愛する
有志建之
平成五年 裕道代
本山茶の茶祖
聖一国師墓所
聖一国師は藁科川の上流栃沢の米沢家に生まれ神童の誉れが高く,栃小僧(頓智)とよばれていました。五才の時久能寺堯弁の弟子となってから,蕨野仲野播摩正の家にしばしば手習いにきていました。
嘉禎元年(1235)宋に渡り禅を究め,仁治元年(1240)帰国しました。その時,茶の種を持ち帰り足久保や蕨野に植えました。当時,僧の中には医療にたずさわるものもあって喫茶が養生法の一つにあげられ,茶は医薬としてたいへん珍重されました。
江戸時代には将軍家の御用茶として,茶壺に納めて,お茶壺屋敷に保管し,お茶壺道中で警護されながら駿府や江戸に運ばれました。
安倍川上流一帯は茶の適地として良質の茶を産するので,つくり初め本,味の本場であるということから「本山茶」の名が自然にに生まれました。
このように,聖一国師は「本山茶」の種を安倍川筋にまいて,静岡茶を日本一にする基をつくったのです。国師墓所の寺号,「医王山,回春院」は,茶の医療効果と結びつけて付けられたものでしょう。
こゝに,「本山茶」の茶祖として,聖一国師を讃え顕彰いたします。昭和五十四年四月
聖一国師顕彰会平成二十一年一月改修