本願寺 発祥之地
ほんがんじはっしょうのち
京都東山の 知恩院山門から150m程北に, 知恩院塔頭の一つ「崇泰院」がある。 この山門前にやや小型の石碑が建っている。この石碑は この地が「本願寺発祥の地」であると同時に,「親鸞の廟所」「蓮如誕生の地」 でもあることを示している。また 崇泰院山門前の路上には「大谷本願寺故地」という石碑も建っている。
土真宗の開祖 親鸞上人は, 弘長2年(1262)に没し 文永9年(1272)に 末娘の覚信尼が この地に廟堂を建て, 遺骨を安置して“御影堂”と呼んだ(親鸞の廟所)。〔廟堂は 江戸時代初頭に 東山五条坂に移転。(大谷本廟)〕
その堂は内紛のため破壊されたが,三世覚如が再建して“専修寺”と号し,後に“本願寺”(大谷本願寺)と改称した(本願寺発祥地)。〔本願寺はその後 蓮如の時代に 延暦寺衆徒に襲われ破壊され(寛正の法難), 京都山科・大阪石山などを転々としたが, 天正19年(1591)に 豊臣秀吉から 七条堀川に寺地を寄進されて 現在地(西本願寺)に落ち着いた〕
蓮如は 本願寺8代門主で,前門主存如の長男として この崇泰院近くで誕生した。 (蓮如上人誕生地)
写真
碑文
本願寺発祥之地
蓮如上人御誕生之地親鸞聖人旧御廟所
元大谷崇泰院