伊那市商業発祥の地
いなししょうぎょうはっしょうのち
飯田線 伊那市駅から 北に250m。天竜川の支流 小沢川に架かる“伊那橋”の北端の東西に, 向かい合うように 大きな自然石の石碑が建っている。 いずれも「伊那市商業発祥の地」と刻まれていて, さらに 北西側の石碑には「権兵衛峠から木曽へ」, 北東側には「高遠から江戸へ」の文字が添えられている。
ここは伊那市の中心部。東西に国道361号 権(1894) に伊那街道が伊那まで開通したとき, 少し上流の明十橋が起点だった権兵衛街道が この伊那橋の起点となり, この橋が主要な街道の交差点となったため, 伊那橋を中心として商店街が 発展していった。このことが“伊那市の商業発祥”とされる由縁のようである。
伊那橋の南側には 山頭火の「あの水この水の天竜となる水音」という句が刻まれた 碑が建っている。
現在の伊那橋は平成11年(1999) に新しく架け替えられ, これを機会に 橋の北側“坂下区”が 発祥碑を, 橋の南側“荒井区”が 山頭火の句碑を, それぞれ橋の北端と南端に建てたもの だという。
なお, 発祥碑に書かれた「権兵衛峠から木曽へ」「高遠から江戸へ」の文言は, それぞれ「権兵衛峠を通って木曽方面に米が送り出され」,「高遠から中山道経由で江戸に向かって漆器などの特産品が運ばれた」というような意味のようで, 伊那の商業の歴史的特徴を表現している。
後に、達筆すぎる歌碑がわからないと苦情があったか、歌碑の説明が付属されていた。
写真
碑文
伊那市商業発祥の地
権兵衛峠から木曽へ
(西)
伊那市商業発祥の地
高遠から江戸へ
(東)
柳から出て
行 舟の早さかな井月 井上井月(一八二二〜一八八七)は、俳人、新潟県生まれ。
東北や関西に芭蕉の足跡をたどった後、伊那に来て三〇年、家も妻子もなく、俳諧一筋に、仲間の家々を訪ねては一泊二日、流麗な筆跡の高吟を残し、酒を愛し無欲漂泊な生涯をこの地に終わる。
あの水この水天竜となる
水音 山頭火 種田山頭火(一八八二〜一九四〇)は、「層雲」派の自由律俳人。山口県生まれ。
井月の生き方に共鳴し、一九三九年(昭和十四年)五月三日、伊那に来て俳友前田若水の案内で井月の墓参を果たし、当地に二泊、風趣に富む俳句と日記を残した。