自由民権運動 発祥の地

じゆうみんけんうんどうはっしょうのち

飯山線 信濃平駅から北西に約3km。寿にある外様とざま郵便局から県道411号を北西に上がっていくと顔戸ごうど地区だが、その入口とも言うべき地に、いくつか石碑が列をなし、その端に高さ2mほどの碑が立つ。

この地域では、明治の初め頃に文明開化運動が起こり、その誇るべき歴史を語り継ぐために、運動125周年を記念して、地元の郷土史研究家 栗岩司 氏が自ら建てた。材には土蔵の礎石を使ったという。

明治初期には下水内しもみのち顔戸ごうど村と呼ばれていたこの地の蓮華寺本堂において、明治5年(1872) 顔戸開成所を開設。この時はまだ教育機関で、同年の学制発布により翌年に尋常小学校が設置された。小学校開設後は教育機関の側面とは別に青年会の役割も果たし、思想問題や法律研究等を行っており、その中の8人が明治13年(1880)に政治結社 寿自由党を設立。翌明治14年(1881)には近隣の運動家とともに北信自由党となる。

その頃の資料によると、中心人物である栗岩愿二氏は板垣退助率いる自由党党員だった。

明治23年(1890) に国会が開設され、衆議院選挙が行われると、北信自由党は解散となったが、メンバーたちは国会議員・県会議員・村会議員等となって地域発展に尽くした。

参考

写真

  • 自由民権運動発祥の地
  • 自由民権運動発祥の地
  • 自由民権運動発祥の地 背面
  • 自由民権運動発祥の地 北西側から

碑文

自由民権運動発祥の地

地図

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