奄美群島 日本復帰運動 発祥之地

あまみぐんとうふっきうんどうはっしょうのち

名瀬小学校(奄美市名瀬永田町1-1)校庭の端に碑が建つ。

太平洋戦争後の昭和21年(1946) 2月、本土から行政分離された奄美群島は米軍政府の統治下に置かれた。これに対し、本土復帰を求める声が高まり、昭和26年(1951) 2月14日に泉芳朗を議長とする「奄美大島日本復帰協議会」が結成された。その結成大会や住民の決起集会が名瀬小学校の校庭で開催されたことから、同地は祖国復帰運動の中心拠点・象徴的場所とみなされている。

運動は署名活動、断食祈願、小中学校児童生徒を含む断髪・血書嘆願など地域一丸となって行われ、住民の99%以上が復帰請願に署名した。その成果もあり、昭和28年(1953) 12月25日に奄美群島の日本復帰が実現した。

名瀬市は、平成18年(2006) に周辺町村と合併し奄美市となった。

写真


碑文

奄美群島
日本復帰運動
発祥之地

日本復帰祈願の歌

作詞 久野藤盛
作曲 静 忠義

太平洋の 汐音《しおのと》は
わが同胞の 血の叫び
平和と自由を 慕いつつ
起てる民族 二十万
烈々祈る 大悲願

地図

地図

奄美市名瀬永田町 付近 [ストリートビュー]