明治維新 発祥の地(美祢)
めいじいしんはっしょうのち
山口線 上郷駅から北に約18km、美祢線 美祢駅から北東に17km、国道490号 大田I.C.から北西に1.7km、
大田・絵堂の戦いは、慶応元年(1865) 正月、長州藩の藩論をめぐって起きた内戦である。高杉晋作が率いる諸隊と、萩政府軍が美祢郡の大田・絵堂周辺で約10日間にわたり戦闘を展開した。諸隊はここ金麗社に本陣を置き、絵堂方面に陣を構えた政府軍と戦った。
この戦いで諸隊が勝利した結果、長州藩の藩論は倒幕へと統一され、幕府との対決に向かう流れが生まれた。美祢市は、この戦いが明治維新へ向かう重要な転機となったことから、大田・絵堂を「明治維新発祥の地」と呼んでいる。金麗社は、単に戦場に近い場所ではなく、諸隊の本陣として作戦会議が行われた場所。高杉晋作、山縣有朋、伊藤博文らが集まり、戦勝祈願を行ったという。境内には大田・絵堂戦役に関わる石碑や奇兵隊献納石灯籠などが残されている。
司馬遼太郎なんて今は誰も読んでないらしく、若いやつらに「奇兵隊」と言ってもまったく反応がないんですよ
— 根石院 (@KubotaHironari) September 17, 2026
明治維新発祥の地 にて pic.twitter.com/daJhratB5z
写真
碑文
明治維新 発祥の地
「大田・絵堂戦役」
慶応元年(一八六五)正月七日未明に始まった大田・絵堂戦は、正月一六日までの間に、一〇日の長登、大木津・川上戦、一四日の呑水垰の戦い一六日の赤村の戦いの三回の激戦があり、戦死者四一名、民家火災一四軒の被害を出しました。右図に示したように、各地には後の記念碑建立などいくつかの関係地があります。戦死者は、当初天神垰、呑水垰、狐山、新井出原に葬られていましたが、後に諸隊側の墓は官修墳墓として新たに光明寺横に整備されています。萩政府軍隊士の墓で地元に残っているのは、川上や正岸寺に所在しています。
戦役に使用されたミニエー銃や弾丸、陣笠、薬莢入れ等の遺品は、長登銅山文化交流館の維新コーナーに展示されています。平成二十三年三月 奈良登振興会
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