米騒動 発祥の地

こめそうどうはっしょうのち

富山地方鉄道本線の電鉄魚津駅から西に600m。魚津港から南に伸びる大町海岸沿いにある魚津水産の倉庫の前に「米騒動発祥の地」と書かれた石碑が建つ。 また この倉庫の壁には 魚津米騒動について書かれた何枚かの看板が掲げられている。

O7_9474米騒動発祥の地

「米騒動」とは 大正初期に米価の値上がりが原因でおこった全国規模の民衆の暴動である。第一次世界大戦により 日本は好景気に湧いたが、その反面 物価は急激に上昇し庶民の生活は困窮した。 特に米商人の買い占めや売り惜しみなどにより 米価は戦前の4倍にもなった。

1918(大正 7)年、米価高騰に苦しんでいた魚津の漁師の主婦ら数十人が十二銀行の米倉庫前に集まり、 米の積み出しをやめて地元住民に販売するよう要求し、警官によって解散させられる という騒ぎが起こった。当初 これは自然発生的に起きたものだったが、新聞によって全国的に報道されると 騒動は全国に波及し、 大阪・神戸・東京 をはじめ 数十の都市を巻き込む大騒動となった。

これに対して政府は、警察と軍隊を投入して制圧を行い、新聞報道を規制するなどして鎮圧しようとした。 しかし これはやがて言論報道の自由を要求する運動に発展し、逐に 魚津の騒動から1ヶ月余の後に 寺内内閣は総辞職し、原敬による 初の政党内閣が誕生した。

この発祥碑は 1998(平成10)年に、騒動発生から80周年を記念して、「魚津市の自然と文化財を守る市民の会」 により建立された。

旧・十二銀行の倉庫の壁には何枚もの説明板が設置されている。そのうちの一部の2枚の内容を次に示す。

魚津の浦の七月の潮風よ
今、八十年昔の米騒動発祥の地に遺るのは二棟の米倉のみ
人よ、それは追憶の中に消されるべき茶の間の話ではない
はかない、一瞬の蜃気楼のような幻の物語ではないのだ
試みに当時の新聞記事を辿ってみようか
「生活難襲う、猟師町…」
「一揆米屋を襲う、魚津町にいよいよ生活難の殺気…」 「七月十八日、汽船息吹丸は寄港に際し、細民婦女の一起が起こり、劈頭狼煙を掲げた…」
「米を積ませまじと大騒動に及びしため、息吹丸乗組員の群集せる細民と争うは危険なりと考え、早々に錨を抜いて北海道に向け出帆、細民らは喧嘩裡に凱歌を奏した…」
第一次世界大戦の影響で諸物価は高騰
ことに政府がシベリア出兵を計画、決断を宣言したことにより米価はさらに急騰し、暴騰した
騒動は魚津から水橋、滑川、岩瀬、富山など県下十六市町村へと広がる
騒乱は無策のままに日を過ごした時の政府を崩壊させ
一道三府三十八県に拡大、参加人員七十万人に達したという
それは民衆の生命を守るための大狼煙であった
されば言う
魚津の浦で立ち上がった猟師の主婦たちの叫びは
日本の民衆に、人間の生存の権利の何たるかを自覚させた「一粒の麦」の命運を宿していたと
この一粒の麦、いや一粒のコメの教えたもの何であったか
我らは知る
力なき民衆が自らの秘めたる力に目覚めた時
人間の歴史は確実に自由と人権への歩みを大地に刻みつけることを
その名は知らなくとも
民主主義の本質を身を以って実践した彼らの英知の鋭さを
あ、我らはまさに襟を正して八十年前の我が郷土の先人の素朴なる叫びに学ばねばならない
そして、彼らが権力と金力に抗して立ち上がったその勇気に学ばねばならない
記念すべきこの日
「われらは何をなすべきか」
古くて新しいこの命題を掲げ
民衆蜂起の地、ここ大町の濱邊に集いて立つ

魚津市の自然と文化財を守る市民の会 高島順吾

(備考)米騒動発祥の日を、七月二十三日とするのが定説化しているが、近年、七月十八日とする説も浮上してきている。今後、魚津市民による発祥の日の史実解明が期待される

魚津の米騒動

大正七年(1918)七月二十三日,北海道への
米の輸送船息吹丸が魚津町に寄港した。おりからの
米価高騰に苦しんでいた漁師の主婦ら数十人が,
米の積み出しをおこなっていた大町海岸の十二銀行
の米倉前に集まり,米の積み出しをやめるよう
要求し,このため米の搬出は中止された。
この事件は,地元紙により富山県内に大きく報道
され,水橋,滑川,岩瀬,泊,生地など沿岸部で
次々と米騒動がおこった。さらにこの騒動は全国に
広がり当時の内閣が総辞職に追いこまれるという
大きな社会問題になった。

魚津町教育委員会

写真

  • O1_9478米騒動発祥の地
  • O2_9482米騒動発祥の地
  • O3_9475米騒動発祥の地
  • O4_9476米騒動発祥の地
  • O5_9477米騒動発祥の地
  • O6_9481米騒動発祥の地
  • O7_9474米騒動発祥の地

碑文

米騒動発祥の地

1918年 大正六年
米騒動発祥の地

魚津の米騒動八十周年
を記念しこの標柱を建立す

米騒動発祥の地
旧十二銀行 米倉

大正七(1918)年、全国をゆるがせた米騒動は、七月二十三日の魚津町(現・魚津市)で起こった汽船への米の積み出し阻止が発端といわれています。
ここは、旧十二銀行の米倉庫でした。当時は地元の米商人が買い付けた米(俵)は、銀行管理の倉庫に預けられ、そこから汽船に積み込んで出荷していました。現在は海辺の景観も変ってしまいましたが、この米倉が魚津の米騒動の名残りをとどめています。

平成十八年十一月
魚津市教育委員会

地図

地図

魚津市 十二銀行米倉 付近 [ストリートビュー]