鏡餅発生の地

かがみもちはっせいのち

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撮影:
どなたか見てきてください!

東海道本線 篠原駅から南に3kmあまり、大笹原神社(野洲市大篠原2375)境内に立つ案内に記載がある。

大笹原神社が「鏡餅発生の地」とされるのは、この地域が良質なもち米の産地であったことに由来する。この地で作られる粘り気の強い餅は、古くから東山道(江戸時代は中山道)を行き交う旅人たちに名物として珍重された。

鏡餅の由来を伝える伝説は、室町時代の応永年間(1394年~1428年)にこの地の領主であった佐々木六角氏にまつわる。佐々木氏は、正月にお供えする餅の形について神のお告げを受け、丸い形を重ねる様式を定めた。この様式がのちの鏡餅の原型になったとされる。

境内には、この故事にちなんで「餅の宮」または「鏡の宮」と呼ばれる摂社が鎮座し、鏡餅の元祖が祀られている。この摂社の祭神は石凝姥命(いしこりどめのみこと)であると伝えられている。

  • 忍法木の葉隠れ☆
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写真


碑文

大笹原神社おおささはらじんじゃ

本殿は国宝で室町時代(一四一四年)に岩倉城主馬淵定信が再建したものです。京都の金閣寺より十年後に建築され造りは三間社さんげんしゃ入母屋造いりもやづくり檜皮葺ひわだぶき、特に彫刻が優秀で東山文化の粋であります。
本殿に向って左の建物は重文、春日造りの篠原神社で「餅の宮」とも呼ばれ鏡餅の神が祭られています。
鏡餅発生の地と言われるこのあたりは全国でも名高い篠原餅の産地で、平安時代より栄えた宿駅「篠原」では東山道(のちの中仙道)を行きかう旅人の腹をモチ続け保存食またお土産品として販売しこの辺一帯が餅の名物となりました。
本殿右の池は寄倍よるべの池と呼ばれ池というより水深が深い底なし沼であります。その昔、水不足から御輿を二基沈めて祈願したところ、いかなる日照り続きであろうともれることなくたえず満水になっているといい伝えられています。

野洲市観光物産協会

地図

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野洲市大篠原 付近 [ストリートビュー]