甲斐源氏 発生の記

かいげんじはっせいのき

中央本線 長坂駅の東1.2km。中央高速 長坂I.C.から県道を西に1Km少し行ったところで, 県道から細い道に入るところに石柱がある。ここから50m程入ったところにさびれた神社、八幡大神社(長坂町大八田おおばった栗林4404)があり, 社殿の隣に石碑が建っている。

甲斐源氏とは甲斐の国に土着した清和源氏の河内源氏系一門とそこから派生した諸家をいう。河内源氏の3代目 八幡太郎義家の弟 新羅三郎義光が甲斐源氏の始祖とされ, その子 源義清(武田冠者義清)が 常陸国に土着して武田氏となるが, のちに甲斐に移って土着した。武田氏からは 板垣氏・甘利氏など多くの一族が出ている。

発生と書いてはっしょうと読むのかもしれないが、確信がないので「はっせい」としておく。

写真

  • 甲斐源氏発生の地 標柱
  • 甲斐源氏発生の地 神社入口
  • 八幡大神社 説明
  • 八幡大神社
  • 八幡大神社と甲斐源氏発生の記

碑文

八幡大神社と甲斐源氏発生の記

  祭神顕徳 山梨県神社庁長松尾馨謹書

甲斐源氏の勃興は今を距る九百余年前の長元二年源頼信が甲斐守となるに始まる。当時甲斐には柏前真衣穂坂の官牧があり頼信その子頼義はこれの復興につとめ更に隣接する広大な八ヶ岳山麓の原野に私牧をもとめ軍馬を飼育し荘園を建置し大いに民生を厚くした。古伝によればその開発の中心地に源氏の守護神である誉田別命を京都の岩清水より勧請し頼義の子義光は広大な神領と壮大な社殿を寄進し大八幡宮(おおはったのみや)と尊称した。即ち当八幡大神社であり甲斐の八幡信仰の発祥であって大八幡の荘名大八田の村名はこれから起る。  逸見郷は大八幡荘を中心に開発され義清を経て清光が逸見山の要害に谷戸城を築くに及んで甲斐源氏の基礎は確立され子孫各地に分派繁栄し甲斐はその一族の支配するところとなり八幡宮も亦各地に勧請され当社は総社と仰がれるに至った。古祠は六・七丁東にあり総社にふさわしい壮麗な社殿であったが水害によって流失し現在地に移築された。 旧祠側に日本武尊御東征の副将軍大伴武日命を祀る嗷神また西方に命の妃大炊姫を祀る弁天社がある。
 茲に氏子相謀りその由来を碑に刻し永く後世に伝えるものである。

昭和四十五年十月一日

宮司 堺川宣正撰

地図

地図

北杜市長坂町大八田栗林 付近