関西法律学校 発祥の地
かんさいほうりつがっこうはっしょうのち
昭和49年(1974) に大阪市により大阪市西区京町堀に建立された顕彰碑は、建立した場所が駐車場用地として売却されたため、車道との境の側溝を跨ぐ位置に立っていた。関西大学は大阪市と交渉し、花乃井公園(大阪市西区京町堀2-11)の中に、関西大学創立130周年記念事業の一環として、新たに「関西法律学校発祥の地顕彰碑」を設置。平成28年(2016) 年9月5日除幕。
あの石柱は千里山キャンパスに移転した。
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碑文
関西法律学校発祥の地
明治維新後、司法制度を整えるため、明治8年(1875)、大阪・東京・長崎・福島に上等裁判所(のちの控訴院)が設置された。そのため、各地で法律家を養成するための学校設立が求められた。
大阪では、時の大阪控訴院長(のち大審院長)児島惟謙らの賛同を得て、司法官の小倉久(校長)や鶴見守義(学監)、自由民権運動に携わった吉田一士(校主)など、12人の人たちにより明治19年(1886)11月4日、関西法律学校が創立された。
この地から東へ150mほどの所にあった京町堀の願宗寺で授業を始めた同校は、現在の関西大学の前身である。平成28年(2016)9月吉日
関西大学
大阪市教育委員会