近代 下水道 発祥の地

きんだいげすいどうはっしょうのち

平成16年(2004) に開通したみなとみらい線 日本大通り駅の構内に、「近代下水道発祥の地」と書かれたパネルが掲示されている。

安政6年(1859) に横浜が開港され、横浜の関内地区は埋め立てられ、外国人居留地として開発されていった。当時横浜の下水は、道路脇の掘割が利用されていたが、都市化が進むにつれ居留地の衛生管理が重要になり下水道の整備が求められるようになった。

このため、横浜に居留する各国領事と幕府との間で「横浜居留地覚書」が交わされ、居留地の下水道整備が進められることになった。英国人ブラントンの技術指導により、明治4年(1871) に完成した。この下水道は陶管が用いられた。

しかし居留地の住民が急増するにつれこの下水管も排水能力が追い付かなくなり、明治14年(1881) から6年がかりで改修工事が行われた。この時に採用されたのが、縦と横の比率が3対2の「卵形管」であった。これは水量が少ない時にも下水の流速を確保する(汚物をに沈殿させない)ように管の断面を卵形にしたもので、レンガとセメントによって作られたレンガ管だった。

この卵形管はその後長期に渡って使用され、最近になって市の中心部の道路工事などで発掘されており、発掘されたものは、横浜市中土木事務所前(中区山下町)に展示されているほか、開港広場・開港資料館、その他市内数カ所でも展示されている。

写真

  • 近代下水道発祥の地
  • 日本大通り駅 壁画(2015)
  • 近代下水道発祥の地(2015)
  • 日本大通り駅(2015)
  • 日本大通り駅(2015)
  • 日本大通り駅(2015)

碑文

近代下水道発祥の地 横浜「大下水」

貴重な土木遺構 
「大下水」

大下水おおげすいとは、明治10年代に関内外国人居留地(現在の山下町一帯で築造されたレンガ製の下水管のことです。

近代下水道発祥の地・横浜の歴史を物語る貴重な土木遺構といえます。

当時は、この大下水などで居留地の下水を集めて海に放流していました。卵形を逆さまにした断面は、下水の流量が少ない時でも流速を確保して、汚濁物が管底に堆積しないよう流れていく工夫がされています。

この写真は、平成8年12月に、ここ日本大通り駅の建設現場から掘り出された大下水の一部です。現在実物は、中区本牧十二天の中部下水処理場に保存しています。

地図

地図

中区日本大通 付近 [ストリートビュー]