近代 製紙業 発祥の地
きんだいせいしぎょうはっしょうのち
京阪電鉄 中之島線 中之島駅前に,リーガロイヤルホテルとグランキューブ大阪(大阪府立国際会議場)がある。2つのビルの間に駐輪場があり,その奥の少し広くなった場所のホテル側に,シンプルな石碑と,大阪市教育委員会の設置した説明板が建っている。
日本における洋紙の製造は一般に王子製紙(創業当時“抄紙会社”)が最初とされ,王子駅前の工場跡地には「洋紙発祥之地」の碑が建っているが,実際には有恒社や蓬莱社の方が早く操業を開始している。
- 有恒社(東京)
- 1874(明治7)年 6月
- 1924(大正13)年 王子製紙に合併
- 蓬莱社(大阪)
- 1875(明治8)年 2月
- 1928(昭和3)年工場廃止
- 抄紙会社(東京)
- 1875(明治8)年 12月
- 1893(明治26)年「王子製紙」に改称
碑文に書かれている“蓬莱社”は,土佐出身の後藤象二郎(後に大阪府知事,逓信大臣などを歴任)が設立した会社だが,間もなく資金難のため経営者が交替し,さらに真島製紙所・中ノ島製紙・樺太工業・日本製紙・冨士製紙などと 所属企業が変化した。
写真
碑文
近代製紙業発祥の地
この地は江戸時代熊本藩蔵屋敷であったが,明治になって後藤象二郎が経営する蓬莱社が払い下げをうけ 同八年(1875)二月に イギリス製の機械を用いて洋紙の製造をはじめた これが日本の洋紙製造業の発祥という
近代製紙業発祥の地
この地は,明治八年(1875)に日本ではじめて洋紙がつくられた場所です。明治四年(1871),大阪の商人平野屋五兵衛(ひらのやごへえ)がイギリスから洋紙をつくる機械を買ったことがきっかけとなりました。
その機械を,高知出身の政治家,後藤象二郎(ごとうしょうじろう)が大阪の商人たちとつくった,蓬莱社という会社が譲りうけました。もとは熊本藩の蔵屋敷(くらやしき)であったこの土地に,製紙工場を建てて洋紙をはじめてつくったのです。
その後,何回か会社の名前がかわりましたが,第二次世界大戦のころまで,この地に工場がありました。大阪市教育委員会