関西商工学校 発祥之地

かんさいしょうこうがっこうはっしょうのち

情報求
調査:
情報による存在確認のみ

北区大淀中の八阪神社にある碑についてはずいぶん以前から情報を得ていたが、2012年に大淀南のなにわ筋歩道の植え込みに、新たに碑が建てられた。

参考

リンク

関西大倉中学校・高等学校

写真


碑文

大阪の学生街 福島
- 関西商工学校発祥之地 -

明治時代中期から昭和初期にかけて、現在の福島区から北区にかけての地域には大阪商業高校(現在の大阪市立大学)をはじめ10校余りの学校がありました。これらの学校には寄宿舎や寮がなかったため、地方出身の学生たちは周辺の住宅に下宿して通学していました。その為、福島一帯は大阪を代表する学校街、学生街としてその名を知られ、東京の神田、京都の吉田と並び、三大都市の三大学生街と称せられました。この地はそれらの学校の一つである関西商工学校跡地です。

 関西商工学校は産業界の人材育成を目的として、明治35(1902)年に創建された大阪で最初の夜間学校でした。明治38(1905)年に北区堂島よりこの地に移転しました。昭和23(1948)年に近隣にあった大阪大倉商業学校と合併して関西大倉高等学校となりました。

大阪市教育委員会・関西大倉学園

地図

地図

北区大淀南 付近 [ストリートビュー]