左専道 小学 発祥之地

させんどうしょうがくはっしょうのち

片町線 放出(はなてん)駅から南に300m。真言宗 不動寺(城東区諏訪2丁目13-5)の門前に, 高さ1mほどの石柱が建っている。ここは 大阪市の最東端にあたり, 150mほど東に行くと 東大阪市になる。

明治の初めには, この付近一帯は 「左専道村」と呼ばれる地名だったが, 「左専道(サセンドウ)」は ここを通る道路の名前でもあった。 足代から北へ伸びる狭い道が「左専道」で, 後に「放出(ハナテン)街道」となった。一説によると 菅原道真が太宰府に左遷される途中, この地の諏訪神社で休憩したことから, ここが「左遷道」と呼ばれたが, 「左遷」という名は聞こえが悪いということで, 地元の人たちが「左専道」と 改めたという。

左専道小学校は 現在の諏訪小学校の前身で, 明治8年(1875) に左専道村と永田村の組合立の「第5大区二小区左専道小学校」として創立され, 後藤という人物の借家を校舎にあてたので, ここが「発祥の地」とされた。

その後 「新開荘村立左専道尋常小学校」「城東第二尋常小学校」「大阪市諏訪国民学校」と改称され, 昭和22年(1947) に「大阪市立諏訪小学校」となった。現在地は 城東区永田2丁目(ここから約500m西)にある。

写真

  • 左専道小学発祥の地
  • 旧町名継承碑
  • 左専道小学発祥の地 側面
  • 左専道小学発祥の地 側面

碑文

左専道小学発祥之地

大阪府東成郡左専道村長田村組合立左専道小学校コノ地ニアリキ
明治八年弐月拾日 後藤儀右衛門供部屋ニテ左専道小学校ヲ創立ス
加藤幸七 教員ニ嘱託セラル 学区域内ハ左専道村長田村

昭和六十二年十一月十日

大阪市立諏訪小学校創立六十周年記念事業委員会

地図

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城東区諏訪2丁目 付近 [ストリートビュー]