北上夜曲 発祥の地(小谷木橋)
きたかみやきょくはっしょうのち
小谷木橋の西岸の土手の上に「北上夜曲発祥の地・詩碑」と 書かれた看板が立っている。この土手下の河川敷には「北上夜曲」の詩碑がある。
「北上夜曲」の作詞者 菊地規氏は 江刺市(現・奥州市)の出身。作曲者 安藤睦夫氏は岩手県種市町出身。 地元の師範学校に入学した 17歳の菊地氏は, 昭和16年(1941) にこの地で「北上夜曲」を作詩した。師範学校の級友と歌った「北上夜曲」は, 小学校の教師として各地に散った友人たちによって 岩手県の各地に広まった。
戦後 歌声ブームに乗って作詩作曲者不明の歌としてヒットしていたが , 昭和36年(1961) に『サンデー毎日』に作者不明の愛唱歌として紹介されたことがキッカケで作曲者の安藤睦夫氏が原作の名乗りをあげ, 各社からレコードが発売され 映画化されるなど, 一躍有名になった。
「北上夜曲発祥の地・詩碑」の他, 北上展勝地(北上市立花)にも 北上夜曲の楽譜付きの詩碑がある。
写真
碑文
北上夜曲発祥の地・詩碑
昭和五十五年四月二十七日建立
水沢市観光協会
北上夜曲
菊地 規
白いやさしい白百合の
濡れているよなあの瞳
想い出すのは
想い出すのは
北上河原の 月の夜
はるかの昔から 北上の流れはこの地に生まれ育った者を 村や町の発展を大きな愛の心で見守って来た 北上夜曲は その者たちの青春の賦でもある 詩は 教師として初めて羽田小学校の教壇に立たれた 私たちの恩師 菊地 規先生によって風光明媚なこの地で作られ その歌は一世を風靡した
私たちは今 四十九才を記念しその詩の一節を碑に刻み 憩いの場に建てて 青春への想いを 古里への限りない愛着と感謝の気持ちをいつまでも残そうとするものである 私たちはまた 北上の豊かな流れの岸辺に立つ人々に この歌を口ずさみ心安らいでもらいたいとも願う
昭和五十五年四月吉日建立
空の蒼さと 緑の沃野が展ける中を 悠久に満ちて流れる母なる川北上川に寄せる愛はつきない 毎日通った道 私はこの川の四季から人生の歓び 哀愁そして哲理を学んだ河原の詩情に懐かしい想いをこのつきない郷愁を常に感じている
菊地 規