講道館 柔道 発祥之地
こうどうかんじゅうどうはっしょうのち
清洲橋通りに面して“稲荷町”交差点のすぐ近くに 永昌寺がある。この境内, 本堂に向かって 左側に, 丸みを帯びた自然石に「講道館柔道発祥之地」と 刻まれた石碑(講道館が建てた)があり, その脇に由来を記した石柱(永昌寺が建てたものものと思われる)がある。 また 本堂に向かって左側にある 横門から 浅草通りに出ると, 通りに面して 台東区教育委員会が建てた 発祥の地の説明板がある。
写真
碑文
講道館柔道
發祥之地嘉納履正書
明治14年 嘉納治五郎は 東京大学を卒業 学習院に奉職したが, 翌15年2月より当寺内に居住して同寺書院を道場として学生を養柔道を中心とする訓育を始めた これが今日国際的な広がりを持つに至った唯一の国技講道館柔道の発祥である
時に治五郎は年23才 道場の広さは12畳 初年の入門者は9名 当時住職は朝舜法 大和尚であった平成8年吉祥日
朝日山 願成院 永昌寺
中興廿八世 白蓮社純誉貞晋上人
講道館 柔道 発祥 の地 台東区東上野5丁目1番2号 永昌寺
明治十五年(一八八二), 講道館柔道の創始者 嘉納治五郎(一八六〇~一九三八)が 友人や門弟とともに稽古をはじめたところが, 当下谷永昌寺の書院であった。
これが今日, 世界各国に普及し国際的な広がりを持つ講道館柔道の発祥とされている。 道場となった書院の広さは十二畳, 初年の門弟は九人であった。
同年夏, 当時の住職 朝舜法(一八三七~一九一四)の協力を得て, 玄関脇の空地に, 十二畳のバラック建て道場を新築したが, 翌十六年(一八八三)神田に移った。
永昌寺は, 浄土宗で 永禄元年(一五五八)下谷長者町に創建, 寛永十四年(一六三七)現在地に移転した。 大正十二年の大震災により 当時の建物は焼失している。
境内の「講道館柔道発祥之地」と刻む自然石の記念碑は, 昭和四十三年十月, 嘉納治五郎没後三十周年を記念し, 講道館が建立した。平成十三年三月
台東区教育委員会
BIRTHPLACE OF KODOKAN JUDO
In 1882, it was here in the study of Eisho-ji temple in Shitaya, that Kano Jigoro (1860~1938). the founder of Kodokan Judo, started training with his friends and followers.
This temple's study is regarded as the birthplace of Kodokan Judo. It has gained international popularity and has spread to various countries around the world. The study first used as a training hall, was just 12 tatami mats big and the first year saw just 9 followers join.
In the summer of 1882, Kano Jigoro obtained the cooperation of Asahi Shunpo (1837~1914), the chief priest of Eisho-ji temple, and constructed a temporary drill hall. The drill hall was the size of 12 tatami mats and was situated in the vacant area next to the temple entrance. In 1883, the hall was relocated to Kanda in Chiyoda City.
In 1558, Eisho-ji temple was first established in Shitaya Choja Machi, by the Judo sect of Buddhism and was moved to its current position here in 1637. In 1923, the temple burnt down in the fires of the Great Kanto Earthquake.
In October 1968, a monument made of stone, was erected by Kodokan in the formerposition of the drill hall, with the inscription "Birthplace of Kodokan Judo" to commemorate the 30th anniversary of the passing of Jigoro Kano.