国母 小学校 発祥之地

こくぼしょうがっこうはっしょうのち

身延線 甲斐住吉駅から北西に約1km。県道3号線 国母通りが千秋橋を渡ったあたりから細い路地を入った所に、曹洞宗 慈光院(甲府市高畑たかばたけ3丁目1)がある。川側の山門から入ったすぐ左側に黒い御影石の石碑が建つ。

現在の国母小学校は,この地から南西に1kmほどの国母4丁目にある。

写真

  • 国母小学校発祥之地
  • 国毋小学校発祥之地 背面(2024)
  • 国毋小学校発祥之地 (2024)
  • 国毋小学校発祥之地 (2024)

碑文

国毋小学校発祥之地

国毋小学校沿革之碑

 豊住村は 高畑の慈光院を仮校舎として 明治十四年に豊住学校を開校し 十九年下石田に移転
 明治二十年四月勅令により豊住学校は廃止され貢川尋常小学校の分校となる
 豊住 富田の両村が明治二十二年合併 国毋の郷に由耒し 村内国毋地蔵の旧跡にちなんで国毋村が誕生し 二十五年分校は解消し国毋尋常小学校となるも校名はそのままで新たな出発となった
 明治三十七年 現在地に新築移転
 昭和十二年国毋村は 甲府市と合併 校名も甲府市立国毋尋常小学校と改称されその後幾度か校名が変更され現在にいたっている
 この八十年 時代の変遷と共に幾度かの増改築が行われ 幾多有為の人材を世に送り出し 社会の発展に貢献するところ大きなものがあった
 国毋小学校の卒業生にとって 思い出多い存在として 心の奥深く残っていることであろう
 ここに現在地創立八十周年を迎えるにあたり この碑を建立して記念とする

国母小学校校庭沿革之碑より

昭和六十三年十一月吉日本堂修復落慶之日 建之

地図

地図

甲府市高畑3丁目 付近