くらわんか舟 発祥地
くらわんかぶねはっしょうち
京阪電鉄 寝屋川市駅の北 2.5km。淀川の右岸(高槻市側)の堤防上に大きな文字で「くらわんか舟発祥地」と刻んだ自然石の碑が建っている。
「くらわんか舟」とは, 江戸時代に淀川の 枚方・高槻を通る三十石船に漕ぎ寄せていって, 酒や食べ物を売る小さな舟(
くらわんか舟から買った食べ物の料金は, 現在の回転寿司の代金のように, 食べた茶碗の大きさと数で数えていたが, ずるい客が代金をごまかすためにこっそりと川に捨てていたことがあって, 現在も淀川の川底からは沢山の「くらわんか茶碗」が出土している。
「くらわんか舟」の起源は, 大阪夏の陣の時、この地(柱本)の船乗りが川舟で食料を運び, 徳川方に協力した功績によって幕府から許された特権だといわれる。当時、淀川は京都と大坂を結ぶ物流の大動脈で, 大坂~伏見間 約40kmを三十石船などの船が往復し、人々の生活と経済活動を支えていた。
その後 柱本の茶舟の一部が 対岸の枚方に移ったのをきっかけに, 枚方の方が柱本をしのぐようになり, 事実上 枚方が独占権をもつようになった。
くらわんか舟は 江戸時代を通じて行われていたが, 明治になって鉄道が開通すると 淀川を往復する船も急減し、姿を消した。
写真
碑文
くらわんか舟発祥地
淀川百年記念
題字 樋田健一郎書
円山川産石
昭和四十九年十月建立
くらわんか舟
昔から, 淀川は大阪と京都を結ぶ交通の大動脈 として, 多くの舟が上下していましたが, 大阪 夏の陣(1615年)のときに徳川方に協力した 功によって, 淀川を上下する舟に, 食物を売る 特権を与えられたのがくらわんか舟で, 後に, 地の利によって, 枚方の方が繁栄したようです。
発祥の地は, ここ高槻市柱本といわれ, 「柱本茶船記録」に書き残されています。