三田浜塩田 発祥の地

みたはまえんでんはっしょうのち

 
撮影:
2005年1月
2016年8月(写真 まさ・なち さん)

総武線 船橋駅から南に約600m。船橋市役所の向かい側の奥まった所に 「三田浜楽園」という料亭があり, その玄関前に石碑が建っている。

船橋の海岸線は戦後工業用地などにする目的で沖合まで埋め立てられた。この地は現在では海まで1km以上あって想像もつかないが, 明治時代には海岸近くで「三田浜塩田」と呼ばれる26万㎡の広大な塩田があった。

塩田は昭和4年(1929) に廃業となり, その跡地に「三田浜楽園」という遊園地ができて, 動物園・野球場・プール・割烹温泉旅館などが造られ, 東京近郊の観光地として賑わった。その頃、文豪 川端康成氏がよく滞在して 執筆活動をしており, 川端の小説「童謡」には 三田浜楽園が「静かな割烹旅館」として登場している。

現在は 遊園地などはなくなり, 同名の料亭だけが営業を続けている。


三田浜楽園は,平成18年(2006) 3月をもって閉館となり,その跡地は38階建ての超高層集合住宅に生まれ変わった。三田浜楽園の解体に伴い,この地にあった発祥碑は撤去された。


撤去は一時的なもので、もと石碑が設置されていた場所とほぼ同じ場所、市役所入口車寄せ向かいにある湊町2丁目公園の片隅に三田浜塩田・三田浜楽園の解説と、川端康成作品「童謡」の一部を記された碑が添えられて再設置されていた。

写真

  • 三田浜塩田発祥の地(2016)
  • 三田浜塩田発祥の地
  • 三田浜塩田発祥の地 背面
  • 三田浜楽園
  • 三田浜楽園

碑文

三田浜塩田
発祥の地

三田浜塩田経歴
塩田発祥所在地
東葛飾郡船橋町九日市浜田
塩田経営者
1. 明治13年 初代 仁礼景範翁
1. 明治38年 2代  小川紋蔵翁
1. 大正7年  3代  平田章千代翁
塩田面積
26町7反7畝
釜数
13釜
使用人数
男 2600人
女  200人
廃業
昭和4年

昭和47年4月

建立者 平田四郎
平田研吾

三田浜みたはま塩田えんでん

明治めいじ初期しょきから昭和四年(一九二九)にかけて、きゅう船橋町ふなばしまちの海岸には四つの塩田がありました。その一つ、三田浜塩田がここ湊町みなとちょう二丁目のあたりにありました。塩田を開いた子爵ししゃく仁礼にれ景範かげのりが、東京の三田に屋敷を持っていたため、その名がついたといわれています。昭和四年、政府による製塩地せいえんち整理せいりの対象となり、三田浜塩田も廃止はいしされました。

三田浜みたはま楽園らくえん

塩田の跡地あとちは、割烹旅館かっぽうりょかんや遊園地のある三田浜楽園となりました。遊園地には、魚釣さかなつり玉突たまつき・野球場・海水プールなどの施設しせつや、さるくまつる孔雀くじゃくなどの動物を飼育しいくする所がありました。特に、夏には、東京や地方から多くの人々がやって来てにぎわいました。
昭和八〜十年(一九三三〜一九三五)頃には、作家 川端かわばた康成やすなりが割烹旅館三田浜楽園をおとずれ、執筆の場として利用しました。「童謡どうよう」は、そこでえがかれた小説しょうせつです。作品の中には地名は出てきませんが、内容から舞台ぶたいは割烹旅館三田浜楽園とされています。

船橋市教育委員会

地図

地図

船橋市湊町2丁目 付近 [ストリートビュー]